ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

送り手はどんな思いで、曲をレイアウトするんだろう?

tinpan19732009-05-30

火曜日(5/26)、神奈川県民ホール
松任谷由実TRANSIT Tour 2009へ。


約一ヶ月前に行った
山下達郎氏の中野サンプラザのときは、
ツアー終盤でセットリスト等コンサート内容に関する
いろんな情報が耳に入ってくるので、それらの情報を
シャットアウトしようと努力して努力してそれで本番を迎えたのだが、
(会社でNHKホール等に行った人が、感動を
 具体的な曲名を出して語ろうとしたのだが耳をふさいだりした)
ユーミンの場合、Web等で出回るセットリストをまずチェックして、
それが自分にフィットしたらチケット予約する。
そんな流れになっている。直近2〜3ツアーは。


たぶん楽曲の絶対数が松任谷由実山下達郎では違っていて、
達郎さんの場合、オープニング〜中盤〜終盤〜アンコールと
楽曲の配置がある程度決まっているのに対し、
ユーミンの場合、いろんな配置が考えられ、私の思い入れの少ない曲だけで
コンサートを成立させてしまうことも可能なわけで、
そういうコンサートに居合わせても不本意なので、それでセットリストを
チェックしてチケット予約という流れになっているのだと思う。


以下、ネタバレです。秋まで続くツアーのようですのでご注意ください。


序盤は時計が演出上の重要なモティーフになっていて、
時間を逆に廻した。


「航海日誌」「ベルベット・イースター」といった荒井時代の曲、
さらにはニュー・アルバムとテーマが近い「時のないホテル」(1980年)を
経て、ニュー・アルバムの曲へとつながる流れ。
とくに「ベルベット・イースター」から新作一曲目「ピカデリー・サーカス
へつづく流れはいいと思った。


あとは、楽曲として三曲、取り上げてみよう。


終盤に演奏した「自由への翼」。1993年のアルバム『U-miz』の
一曲目で、このアルバムはタイトルもジャケットも考え過ぎな感じがして
好きじゃなかった。この「自由への翼」も、パット・メセニー
「ラスト・トレイン・ホーム」に詞をつけた曲のような気がして、
発売当時は素直に受け入れられなかった。しかし15年ぐらい経って、
こうしてコンサートの流れの中の一曲として聴くと
いいなと思えた。旅、空間移動がテーマのコンサートというのも、
この曲を魅力的に聴こえさせたのだと思う。


あとは、「ジャコビニ彗星の日」と「水の影」。
神奈川県民ホールユーミンを聴くのは、実は1985年の
Yuming Visualive DADIDA”ツアー以来だったりするのだが、
その24年前のコンサートでも、この2曲は演奏されたのだ。
コンサートの前半だったと記憶している。


今回はコンサートの後半で演奏された。
その味わいの深いこと。
「ジャコビニ彗星の日」、口ずさみながら聴いたのだが、
完璧に詞を覚えていた。


「水の影」は、今年の春、川越を訪れたとき脳裏をよぎった曲で、
このBlogにも記した気がする。そのとき川越にいっしょに行った人が、
この日隣にいて、そしてこの曲が本編最後に流れて、
それはやはりとても不思議な感じがした。


ニュー・アルバムにはやはりどこかにイギリスの匂いがあって、
だから「時のないホテル」「水の影」といった1980年のアルバム
『時のないホテル』収録曲を前半のヤマ場や本編最後といった
節目に配置したのだと思う。


気になったのが、終盤・アンコールの楽曲。
ユーミンご本人がお年を召されたことも理由だと思うのだが、
アップ・テンポの後にスローなバラードというパターンが多くて、
流れがスムーズでない気がしたのだ。


具体的には「守ってあげたい」「Forgiveness」。
流れを切っている気がした。
あとはアンコール一曲目「ダンデライオン」。
1983年にイギリスを訪れたとき作った曲ということで、
(と1983年日本武道館『REINCARNATION』コンサートで聞いた記憶が)
今回のツアーで演奏されるのは理解できるが、
アンコール一曲目にレイアウトすべきなのか?


ここは「カンナ8号線」あたりで、
次の「埠頭を渡る風」とつなげたほうが流れが良く盛り上がったのではと思う。
「カンナ8号線」(1981年『昨晩お会いしましょう』)、
封印したのかと思われるぐらいコンサートで演奏されない
楽曲になってしまった。私自身、決して名曲とは思わないが、
「守ってあげたい」がヒットした1981年の第二次ユーミン・ブーム以降、
ライヴでは節目節目で終盤の盛り上がりに効果的に使用されて来た楽曲なので、
このまま陽の目を見なくなってしまうには惜しい、そんな気がする。