ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

深海の街に、あるホテル。

12月1日、ユーミンの新譜が発売された。

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私が会社勤めでない立場で新譜を聴くのは、1987年『ダイヤモンドダストが消えぬ間に』以来だから、33年ぶりか。

時間に余裕があるので、テレビ、ラジオ、ウェブでのプロモーションでの映像や発言含め堪能している。

時代とともにプロモーションする媒体も変化している。雑誌の地位が低下したなという印象。発売日を待って、本人によるアルバム全曲解説がウェブで公開された。

ひと昔前だと、全曲解説が文字で読めるのは雑誌やレコード店頭での販促物だった。私はとにかくこの本人による楽曲解説が楽しみだった。

テレビによく出ているなという印象があるが、テレビはもはやマスメディアでなくクラスメディアとなっていると思う。どの番組も視聴率10%超えれば御の字のような状況。

発売日の夜9時から、ユーミン初のインスタライブが行われた。

時間にして30分ほど。ライブで歌うのでなくトーク。アルバムジャケットの撮影に使われた潜水具が展示されたレコード店からの中継、視聴者からの生の声や質問に答えていく内容だった。

発売日当日、ユーミンは近所の公園をウォーキングし、そのまま遊歩道のようなところを散歩したそうだ。その遊歩道は、何と私の家から数メートル。

「そうか? あの時間、私もあの用事を済ますため家を出れば、すれ違っていたのかも知れないな」と思ったりした。私にとって、ものすごく吉兆な気がした。今、ある事を希求しているのだが、私が家で仕事していた数メートル先をユーミンが歩いたということは、それだけでプラスの波動を浴びたような気がした。

お茶しようとしてリュックの中に財布を入れていなくて諦めたという、ロフトのようなカフェってどこ? 地元に住んでいてわからない。どなたかご教示ください。

 

さて、アルバムは『サーフ&スノウ』Volume2を意識して当初作り出したそうだ。実際にジャケットで男女がキスするビジュアルは、シーンが深海に変わっているだけで、アングルやポーズを似せている。

新譜をひと通り聴いて、内容に関しては『サーフ&スノウ』Volume2というより、同じ1980年に発売されたこの前作『時のないホテル』Volume2という印象を私は抱いた。

『時のないホテル』もアルバムのテーマを掘り下げ、トータルなイメージを直接的に形作ったのは、次の4曲。

1曲目「セシルの週末」

2曲目「時のないホテル」

3曲目「MISS LONELY」

終曲「コンパートメント」

新作『深海の街』は次の4曲か。

1曲目「1920」

2曲目「ノートルダム

10曲目「REBORN〜太陽よ止まって」

終曲「深海の街」

もちろん「Good! Morining」などタイアップで先に発表された曲も詞を書き改めたり、「散りてなお」や「あなたと 私と」等壮大なラブソングが、アルバムに深遠さを付加している。

『時のないホテル』も、観音崎の歩道橋に立ってドアの凹んだ白いセリカ国道16号をドライブした日を想う、80年代突入時点での妙齢女性心理を描いた「よそゆき顔で」や、当時の若者風俗を描きつつもアガサ・クリスティの映画でダスティン・ホフマンが自分より背の高い女性と踊るシーンにも通じる「5cmの向こう岸」など、趣きある曲がアルバムの間口を広げ、味わいを加えている。

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1980年当時ユーミン はセールス低迷期だった。翌81年「守ってあげたい」で第二次ブームとなり、以後80年代後半〜90年代初頭CDプレーヤーの普及と団塊ジュニアの購買層突入によるメガ・セールス時代まで、セールス面での上り調子が続く。

この『時のないホテル』発売時、雑誌『ミュージック・マガジン』ではレコード評で1ページ割かれることもなく、巻末ページの一言レビューのような扱いだった。

そのレビューが「ユーミン、『ホテル・カルフォルニア』は超えられなかったね」というようなものだったと思う。

「比較対象が違うだろ! 比べるならイーグルスじゃなく、プロコル・ハルム『グランド・ホテル』だ!」

と、私は思ったものだ。あれは確か発売から10年ほど経った1990年の春先かな。下北沢の古本屋で『ミュージック・マガジン』のこの号を見つけ読んだ気がする(そう言えば、あの時も会社勤めをしていなかったな)。

 

80年代、時代は変わり、音楽も変わった。

経済は二度のオイルショックを乗り越えつつある時。ソ連がアフガンに侵攻し、1980年のモスクワでの五輪は米国や日本など西側諸国がボイコット。

遠い半島の国では第何次かの戦争が…。

キナ臭い空気は漂っていた。

音楽はクロスオーバー〜フュージョンがピークを迎え、テクノが世界を席巻し、AORが都市を彩った。

私にとってはとにかく音楽、YMO大滝詠一山下達郎松田聖子らのヒットにより、はっぴいえんどティン・パン・アレー系統の音楽家の偉大さに気づかされた。進路選択や人生に多大な影響を受けた。

あれから40年経った20年代、ウィズ・コロナ、ポスト・コロナ。また時代は変わり、音楽も変わるのだろう。

新譜『深海の街』、ユーミンの詞がまた新境地を開拓している気がする。

シンプルな言葉が、深い意味をまとっている。

 

かならずわかる ふり返れば 何を追いかけたか (「1920」)

歩きだそう 歩いてゆこう 歩きだそう (「ノートルダム」)

あなたに会いに行く (「雪の道しるべ」)

未来にいちばん近い一日が始まる (「Good! Morining」)

 

50代後半になった私も新たな地平を求め、歩きつづける。