ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

ウィズ・コロナ時代のセカンド・キャリア。〜NHK MUSIC SPECIAL 伝説的ミュージシャンの50年〜

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SKYE


いい番組をありがとうございました。

三連休の最後、ワインを飲みながらいい気持ちで拝見しました。

この手の番組を見た直後は、例によってランダムで感想を記すことにします。

 

 

○オンエア、地上波祝日18時から38分?

BSで2時間ぐらいでやれば良かったのに。

これは今年の紅白もSKYE+ユーミンの出演をNHKが考えていてその前パブ?

(前々回の桑田とのエンディングが話題となった「やさしさに包まれたなら」のとき、

バックが林+小原+鈴木+松任谷だったような。あ、武部さんとかもキーボードで

参加したか)

38分の放送枠に収まり切らなかった座談会の話を、

YouTubeか、NHKアーカイブで流してください。NHKさん!

 

 

○林氏スティック落としとタイトル『〜たい』の曲はヒットする。

数週間前、ほとんど放置状態の拙ブログのアクセス数が意味不明の上昇を見せました。

林立夫氏がドラムのスティックを落とし、タイトルに「〜たい」が付くと

その曲はヒットするとして、

1975年「あの日にかえりたい」、1981年「守ってあげたい」を例に記したことがあって、

その辺りの確認材料として使われたのでしょうか。うれしいです。

 

 

○「中央フリーウェイ」のミュージシャンとエンディングのコーラス

あのエンディングのコーラス、尾崎亜美さんだったんだ。

吉田美奈子さんだと思っていた。

この曲のリズムセクションは、マイク・ベアードDrums、リーランド・スカラーBaseで、

この頃ティン・パンの面々のスケジュールが忙しくて合わなかったそうですね。

私は、「あの日にかえりたい」でユーミンがブレイクして、

松任谷正隆氏がカネのこと考えず自分のやりたいミュージシャンにオファーできるように

なったから、このリズム・セクションになったと思っていた。

 

小原礼氏の関連性はアルバム『ひこうき雲』に一曲参加しているじゃなくて

番組で取り上げていたムッシュかまやつ氏がプロデュースした

ユーミンのデビュー・シングル「返事はいらない」のベーシストとして

紹介すべきだったと思う。キャラメル・ママに出会う以前にセッションしていた。

高橋幸宏ドラム、バズの東郷兄弟コーラスとともに。

 

 

尾崎亜美さんで思い出した小坂忠氏ライブのこと

2018年11月の東京国際フォーラムでのSONGS & FRIEND

小坂忠『ほうろう』コンサート。忠さんが病気で倒れたとき、

亜美さんが物凄い貢献をされたことはわかりました。

ただ、名曲「機関車」のサビのコーラスを亜美さんが担うのは違うんじゃないか

と思いました。当日は吉田美奈子さんも参加されていました。

サビの♪目がつぶれ〜

2000年のティンパン@NHKホールが、

2016年の小坂忠50周年記念ライブ@渋谷さくらホールが、

そうだったように、ここはオリジナルと同じ忠&美奈子のコーラスに涙したかった。

 

 

○SKYEのレコード会社は日本コロンビア

70歳のデビュー・アルバムを発売するレコード会社は、

ティン・パン・アレーのクラウンじゃないんだ。

ユーミンのユニバーサルでもないんだ。

いしだあゆみwithティン・パン・アレー『アワー・コネクション』が

コロンビアだったはず。

私、NHK朝ドラ『エール』以来、戦後〜はっぴいえんどの日本音楽史

興味が湧いております。老後の楽しみにしたいと思っています。

あと、私も70歳で、○○か○○○デビューしたいと思うことにします。

 

 

○コロナはBoogieで音楽に。「ISOLATION」

キャラメル・ママのライブ定番曲「キャラメル・ラグ」もBoogie Woogieだった。

この閉塞感をブギーに託す。わかる気がします。

「窓は開けておいて」林氏の詞もナルホドと思いました。

1984TOTOのアルバムも『ISOLATION』だった。

80年代半ば、米ソ冷戦が収束に向かい、プラザ合意は1986年、

どなたかTOTOとの関連で語っていただけないでしょうか。

ちなみに、私はTOTO『ISOLATION』は「隔離」でなく、

「孤立」と捉えていた。当時。