ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

路面電車はどこへ? ―風街オデッセイ2021―

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ついに、生はっぴいえんどを体験した。

 

1973年9月21日文京公会堂の解散コンサートは、

群馬県の小学校4年生だった僕には縁がなかった。

まず、はっぴいえんどを知らなかったし、そうだな、この73年秋、

かぐや姫神田川」やフィンガー5「個人授業」がヒットチャートに

入ってきて、なんか音楽が変わったな?と感じるのがせいぜいだった。

 

1985年6月の国立競技場「ALL TOGETHER NOW」での再結成時は

大学生になっていて行きたかったけど、葉山で海の家を作っていたので行けなかった。

(ちなみにこの海の家は、この年の秋に出版された松本隆氏の処女小説

 『微熱少年』にもその名が登場する海の家だった)

 

今日、2021年11月6日、忘れられない日になるだろう。

 

一曲目「花いちもんめ」のイントロで鈴木茂がミスったのはわざと?

 

二曲目「12月の雨の日」の鈴木茂のギターのイントロを聴くと、もう涙がとめどなく…。

大滝詠一が作ったこの曲を聞いて鈴木茂がこのイントロを奏でて、

はっぴいえんどが始まったと言われる曲。

ハモンドで参加した鈴木慶一がボーカルを担った。

鈴木慶一は当時もしばしばキーボードではっぴいえんどライブをサポートしたと

雑誌で読んだことがある。歌唱法を大滝詠一っぽくしたことがあって、当時大滝さんに

怒られたとかいうエピソードも読んだような。

 

三曲目、ついに細野晴臣が歌う「風をあつめて」を聴けた。

ホソノさんのライブにも何十回と足を運んだがこの曲を聴けることはなかった。

アッコちゃんのライブでホソノさんとデュエットで歌ったのを聴けたことがあるぐらい。

今回は、ハモンド入りの原曲に近いアレンジで、

うれしかった。ありがたかった。三番の歌詞を間違えたあたりも、さすが!

という感じだった。テレたり、ハズしたり、スカしたり、どこかで我々を裏切るのが、

ホソノさんの常套手段。

 

ラストのはっぴいえんど前に登場した吉田美奈子も圧巻だった。

細野晴臣トリビュート・アルバムで披露した「ガラスの林檎」は、

アヴァンギャルドなアレンジで今回も歌うだろうと思っていたが、

瑠璃色の地球」が良かった。オーソドックなアレンジで、歌の上手さが万人に伝わった

と思う。今日、登場した歌手の中で最も拍手が大きかった気がする。

 

松本隆細野晴臣吉田美奈子

かれこれ40年、私は彼・彼女たちのファンである。

ここ10年ほどは好きであるゆえ、嫌いな部分も明らかに存在するようになり、

その部分には距離を置くようにしている。

 

はっぴいえんど結成前後の60年代末、

吉田美奈子細野晴臣松本隆らがよく集ったという

六本木ハンバーガー・インはもうない。

その先のライブハウス「ピットイン」もない。

 

外苑通りをそのまま飯倉方面に歩く。

飯倉片町の交差点の先、左側は今大規模な再開発の真っ最中。

右側のイタリアン・レストラン「キャンティ」はまだある。

数年先には、この右側のエリアも再開発となるらしい。

 

最近、私はこの右側エリアの会社で働き出した。

六本木の駅の上で5年、六本木一丁目の駅の上で4年、働いたことがある。

その後他のエリアに移り、六本木界隈で働くのは15年ぶりになる。

 

青山、麻布、赤坂が松本隆の風街なら、

渋谷、麻布、六本木が、私の風街だ。

 

街と、音楽の、今を、変化を、これからも自分なりに感じていこう。

そして、自分なりの風街ろまん、これからも留めていこう。

 

♪起きぬけの路面電車が海を渡る

(「風をあつめて」)

のは見たことがないけれど、

 

アルバム『風街ろまん』のジャケットに描かれた路面電車

国道246号の三宅坂付近を走るあの電車が、

50年経ってその先の千鳥ヶ淵を渡るのを見たような

そんな夜だった。

 

♪ほらね 嘘じゃないだろう

 路面電車は浮かんでいくよ 銀河へと

(「微熱少年」)