ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

薬師丸ひろ子さんは、ティン・パン系歌姫でもあった。

tinpan19732006-03-19

ハードディスク内蔵DVDレコーダーを購入してから、以前のVHSレコーダー時代に比べて、遥かに録画予約をするようになった。
興味があれば気軽に録画して、つまらなかったらそのまま消去すればいいし、テープの頭出しとか、重ねて録画してどのテープに何を録ったかわからなくなったりとか…、いろんな不便がクリアになった。


先週木曜日(3/16)『音楽・夢くらぶ』、薬師丸ひろ子さんとHISがゲストだそうなので、予約しておいた。今日、ようやく観ることができた。


薬師丸ひろ子さんは、1981年「ねらわれた学園」から84年「Wの悲劇」まで、薬師丸さんが17歳から20歳ごろまで、本当に好きだった。ファンだった。私は薬師丸さんより1つ年上、アイドルに夢中になる年齢ではもうなくなっていたけれど、薬師丸さんだけは別格だった。輝きが、他の女優や歌手とは明らかに違っていたと思う。
歌手活動においては、はっぴい〜ティン・パン系の音楽家たちとの関係も深い。
初めて歌ったシングル「セーラー服と機関銃」こそ本来、来生たかおさんが歌うはずだったので来生姉弟コンビ作品だったが(角川春樹氏のひと声で薬師丸さんが歌うことになったらしい)、続く三作品は次の通り。
●「探偵物語」詩・松本隆/曲・大瀧詠一
●「メイン・テーマ」詩・松本隆/曲・南佳孝
●「WOMAN〜Wの悲劇」詩・松本隆/曲・呉田軽穂
考えてみれば第二次ユーミン・ブームは、薬師丸ひろ子主演映画「ねらわれた学園」(81年)の主題歌「守ってあげたい」のヒットから始まった。
そういえば第一次ユーミン・ブームは、秋吉久美子主演ドラマ「家庭の秘密」の主題歌「あの日に帰りたい」のヒットからだった。
●その時代旬の女優の主演映画かドラマの主題歌であること
●ドラムを林立夫氏が叩き、しかもレコーディング時スティックを落とすこと
●曲のタイトルが「〜たい」であること
以上の条件が揃うとユーミン・ブームができあがるらしい。


話が逸れた。薬師丸さんに対する松本隆氏の力の入れ具合も半端じゃない。
この頃は松田聖子さんの絶頂期で、他にも多くの人に詩を書かれていて、売れっ子ぶりも忙しさもハンパじゃない時期だったと思うが、薬師丸さんへの詩は「別格」との発言を、松本氏ご本人がされていたと思う(出典は『Kazemachi Cafe』か『風街図鑑』)。『古今集』『花図鑑』あたりの薬師丸さんのアルバムは、プロデュースも松本氏だったはず。
アルバム『古今集』収録曲に「元気を出して」があって(たぶん)、この曲を竹内まりやさんがセルフ・カヴァーした87年のアルバム『REQUEST』では、この曲のエンディングのコーラスで薬師丸さんが登場する。「いい声だな」と思う。


昨年は、「ALWAYS〜三丁目の夕日」等で女優として再びいい味を出されていた薬師丸さん。40歳を過ぎて、また新たなピークを作り出されているのは、同年代の元ファンとしてうれしい。新しい勇気と元気を与えてもらった気がする。これからもがんばってほしい。


あれ? どうやらHISについて書くスペースが無くなってしまったようだ。