ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

坂道の向こうへ、坂道の途中から。

tinpan19732011-01-25

少し時間が経ってしまったが、
19日(水)SHIBUYA-AX
「さよならヤマハ渋谷店コンサート」へ。


竹内まりやさんが、
山下達郎さんを初めて生で見たのは、
学生時代のヤマハ渋谷店でのシュガー・ベイヴのライヴだった。
そのライヴを当時高校生だった佐橋佳幸さんも観ていらしたという
エピソードを昨年末の武道館で話されていた。


1985年6月国立競技場“ALL TOGETHER NOW”で
はつぴぃえんど(はっぴいえんど)が再結成したとき、
松本隆さんが久々にドラムを叩くので
当時詞を提供していたグループCCBのドラマーに
「スティックは何がいいか」聞いて、ヤマハ渋谷店で買い求めたこと。


そんなエピソードを思い出しつつ、
僕自身はヤマハ渋谷店は数度訪れた程度。
銀座店のほうがまだ訪れた回数が多い。
学生時代の夏、海の家の閉店イベントで素人バンドっぽいことを
するのに、山下達郎さんとサザン・オール・スターズの楽譜を買いに
行ったのが、そう言えばヤマハ渋谷店だったような…。


このコンサートへ行こうと思った理由は、
ヤマハ渋谷店への特別な思いというより、
やはり吉田美奈子さんが出演されることが大きかった。


島村英二D、岡沢章B、倉田信雄Kという
現在のYOSHIDA MINAKO & THE BANDの御三方も出演されるので、
ある意味安心できたし、ギターやコーラスや他の楽器で誰がどう絡むのか?
異種カクトウギ要素も期待できた。


「RIM」(2006年『Spangle』収録)
「TEMPTATION」(2002年『STABLE』収録)
という渋谷を題材にした2曲を演奏した。
いずれも21世紀になってから発表された楽曲。


「RIM」のギターは、椎名和夫氏だった。予想通り。
美奈子さんとは古いお付き合いであるし、
1993年中野サンプラザのライヴでもギターを弾かれていたし、
1995年『EXTREME BEAUTY』ではプログラミングを担当されていた(はず)。


「TEMPTATION」は、ギターは斉藤秀夫氏だったか(記憶が曖昧)?
宮崎 隆睦さんのサックスと、小坂明子さんのコーラスが
今も印象に残っている。


それから、美奈子さんがコーラスで参加した
オープニングと終盤の中西圭三さんの曲。
Twitterで実現した向谷圭三プロジェクトの楽曲らしい)
この種のメロディアスなソウル・ナンバーの吉田美奈子コーラスというのは、
やはり絶品だと思った。1982年までの山下達郎作品では頻繁に聴くことができたけれど、
今はもうめったに聴けない。ましてや、コーラスをライヴで聴ける機会なんて、
こうしたコンサートでもない限り無理だろう。


サンプラザ中野さん「Runner」「大きなタマネギの下で」。
決しておカネを払って生で聴くことは無いだろうと思っていた曲も聴いた。
オンタイムで聴いたとき同様、心は動かなかった。
大沢誉志幸「そして僕は途方に暮れる」。これにはジ〜ンとした。
そういえば、オンタイムの、80年代半ばカップ・ヌードルのCMで聴いたころも、
いい曲だと思ってカセットに録音していたっけ。
小坂明子さん「あなた」。1974年の今ごろ、小学校4年生以来にじっくり聴くわけだから
ジ〜ンとしたかったけれど、ちょっと違和感を抱いたのは…、
キーがオリジナルよりだいぶ低かったからだと思う。


あとは、松方秀樹さんのYMOシャツや、ずらり勢ぞろいしたシンセの名機や、
向谷さんの貫禄の付き方に驚いたり…、いい時間だった。


最後の、このコンサートのために作られた曲「坂道の向こうへ」
(作詞・松井 五郎、作曲・山川 恵津子)を聴いて、
ナミダが頬を伝った。フシギだった。
そこまでこのコンサートに思い入れがあったわけでも、
この曲の詞世界への理解があったわけでもないのに。


伝説のお店がひとつクローズして、
そのお店に対して自分はあまりコミットしていない。
その中途半端な距離感が、何か自分の人生を象徴しているような気がしたのと、
あとは、“道”好きなのと(“ティン・パン・アレー”も“SIDEWAYS”も“道”です)
自分の人生は“いつも途中”だとふと感じたのと、
年齢を重ねナミダもろくなっているのも大きいだろう。
ナミダの意味としては…。


このコンサートは当日はもちろん、
後日2回有料でUstream配信されたそうである。
この辺りについての思いは、また機会があれば記してみたい。

もう一度ファンになった。

tinpan19732011-01-10

坂本龍一韓国公演の
20時からのパブリック・ビューイングを
六本木ヒルズのTOHOシネマズで観た。


昼の回を昭和音大で観たかったのだが、
今日は10時スタートで30km走る大会があったため、
仮眠をとって夜六本木ヒルズで観ることを選んだ。


教授の最近のライヴは、2009年3月のピアノ・ソロ、
12月のゲスト大貫妙子さんのライヴ、
2010年12月の大貫さんとの『UTAU』ツアーを
すべて東京国際フォーラムで観たけれど、誤解を恐れずに言えば、
臨場感・ライヴ感という意味では、今夜のパブリック・ビューイングが
(以降「PV」と略させてもらいます。長いので。略語キライなんですけど)
いちばんだった。教授の演奏時の表情など、実際のライヴの客席からは
まず伺い知れない。地球環境のために照明も抑え目なので、
「観る」というより「聴く」要素が強いライヴがずっと続いていたが、
今夜のPVでは自動演奏するピアノの動きまで目にすることができた。


六本木ヒルズのPV、曲が終わると拍手をするのか?
興味深く一曲目が終わるのを待った。私はすべきと思っていたので拍手した。
客席からの反応はまばら。この拍手、曲を追うごとに大きくなっていった。


ライヴそのものが素晴らしかったのも大きいと思う。
「Before Long」が聴けてうれしかったのと、
Behind The Mask」「Thousand Knives」をこのアレンジで聴くと、
ヒジョーの味わい深かった。「ハッピーエンド」なんてYMOバージョンとは
全く別の曲のように聴こえた。個人的に今夜の白眉はラスト二曲。
MC Sniperをゲストに披露した「Undercooled」とラストの「Aqua」。
今夜の象徴として、この二曲をこれからしばらく聴き続けるだろう。


それから今夜、再認識したのは、私にとっての
“ポップ・スター”“カルチャー・ヒーロー”としての教授の存在。
個人的に、韓国も、日本との関係も、好きじゃなかった。
Ustreamにも、Twitterにも、距離を置いていた。
ましてやそれをPVなんて…。
教授に対しても、『BTTB』あたりからは
一昨年の『Out Of Noise』の前まで、オリジナル・アルバムを買うことも
無くなっていた。


そういった私個人の偏見や先入観を、“世界のサカモト”は
軽〜く飛び超えてくれた。今夜、改めてファンになった。
“前代未聞”や“前人未到”を、
この人は死ぬまで追い求めてほしい。
ひょっとして音楽は世界を変えられるんじゃないか?
そんな気持ちになった2011年1月9日の夜だった。


前夜は、渋谷C.C.Lemonホールキリンジのライヴだった。
キリンジのライヴは4回目ぐらい。これもまた素晴らしかった。
音楽に関して、基本的に私は自分より10歳ぐらい年上の音楽家たちから
影響や感動を与えらえて来たのだけれど、自分より明らかに年下の
キリンジとバンドの面々から似たような思いを得られることに、
たまらなく幸せを感じる。

一年の計としての『ノルウェイの森』。

tinpan19732011-01-07

映画『ノルウェイの森』を観た。
この正月休みに、六本木ヒルズで。


ものすごく混んでいて、最前列しか席が無くて、
見上げるようにして観た。


事前情報は、映画化は基本的にOKしない村上春樹さんが、
このフランス人監督ならとOKして映画化に至ったという程度。
誰が出演してどんな内容かなど全く知らず。
原作のストーリーもカンペキには覚えていない状況。
ただ、この小説のもつ空気感は何となく覚えていて、
それがどう映画として表現されるのか?
それを期待して観に行ったのだと思う。


60年代後半という時代を、10年代の今映像化するのは、
意外と楽だったんじゃないか? 
スタイリストさんはやりやすかったんじゃないか?
と、映画を観てまず思った。
例えば、主演およびその先輩の男性のパンツ(ズボン)のシルエットを
見ても、あの頃と今はとても似通っている。
ロー・ウェストで細目、私が20代だった80年代とは対極のシルエット。
あとは女性の目と眉のメイクがも似ていると思った。


糸井重里さんが大学教授、
高橋幸宏さんが医療施設の管理人、
細野晴臣さんがレコード店の店長。
事前に全く知らなかったので、画面でいきなり見て驚いて、そして喜んだ。


学生運動ドロップアウトした糸井さんが、
活動家たちに突き上げられる先生役。
神経症を公言する幸宏さんが、メンタル・ケアする施設の管理人。
ビミョーにアイロニカルで面白かった。
フランス人監督っぽいウィットだと勝手に思った。
(キャスティングしたのは日本人に違いないけれど…)


最後のクレジットに
「コミュニケーション・デザイン 澤本嘉光」の文字を見たときは…。
少し悲しかった。この種の映画を作り、世の中の人びとに広く伝えるのに、
現在の広告界の著名クリエイターの力を借りなければいけないのか…?
いけないのだろうな。お正月映画は、相当のおカネが動く経済行為だ。
(それこそ、糸井さんに任せればいいのに…。
やらないか。今さら、この種の仕事は…)


小泉今日子さんも出演すれば良かったのに…。
功労者だったし、小説発表時にカルチャー・ヒーローだったのだから。
原作の『ノルウェイの森』が大ヒットした1988年ごろ、
キョンキョンがラジオ番組「オールナイト・ニッポン」で
この小説を面白かったと言ったことが売上にかなり貢献したというような
ことが、当時メディアで良く取り上げていた。


当時、たぶん1989年。
東芝EMIが所属アーティストによるビートルズ
カバー・アルバムを出したはず。
そのアルバムの中で、松任谷由実さんと高中正義さんが組んでカバーしたのが、
ノルウェイの森」だったな。
妙な味のある出来ばえだった気がする。ちょっと聴いてみたい。
Youtubeにあるかな…。


映画そのものは、このように記憶を走馬灯のように呼び覚ます
タイムマシーンとして機能した。
良かったどうかは…。う〜ん。自分にとっての直子像、みどり像が
あって、残念ながら、このお二人の女優さんはそれとはちょっと
距離があった。直子はあの人、みどりは…。う〜ん、ぜんぶ自分の知り合いの
一般人だからな…。ここじゃ説明できない。


というわけで、今年は少しは映画の話もしていこうと思います。
ティン・パン・アレーのSIDEWAYS”の
“SIDEWAYS”は考えてみれば、このBLOGを始めた2005年に
私が観た映画の中でいちばん好きだった作品からとったのだから。
ティン・パン・アレー”“SIDEWAYS”どちらも道を表す言葉であり、かつ
ティン・パン・アレー”=音楽、“SIDEWAYS”=映画
の象徴でもあったことを思い出した。

ライヴと音楽の今日・明日。

tinpan19732011-01-04

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。


年末年始の休み中に、書いてみようと思っていたテーマがあって、
明日で休みが終わってしまうので、今日はとにかくトライしてみよう。
ちょっと酔っ払っているので論理に破綻をきたすかも知れないが、
まあいつものこととお許しいただければ幸いです。


テーマは「ライヴ」について。


山下達郎さんが2年連続でコンサート・ツアーを行った。
このアクティビティ、昨年末に配布されたファンクラブ会報では、
「これからの時代は、ライヴに戻っていかざるを得ないという考えに帰結した
 結果の行動」とコメントされている。


坂本龍一さん&大貫妙子さん『UTAU』コンサート・ツアーでは、
多くのライヴをリハーサルおよびライヴ後の様子を含め
Ustreamでオンタイム配信。
直前の教授の北米ソロ・ツアーではUst配信と直後のiTunes配信が
パッケージになっていた。


牧村憲一氏・津田大介氏共著『未来型サバイバル音楽論』には、
CDは売れなくなって久しいがライヴ・シーンはまだ右上がりと
記されている。


吉田美奈子さんはAvex ioとの専属録音契約から離れ4年、
ライヴを中心に活動されている。


レンタルやら配信やらで音楽を巡る状況が、
コンビニエント&リーズナブルになればなるほど、
逆に音楽自体が不幸になっていくというか…。
楽家にとって、レコード会社と年間数千万円なりの専属録音契約を結び、
一定のインターバルとバジェット内で、楽曲を作りパッケージにして世に出す
ということだけでは最早、音楽活動を維持できない。
そんな時代が到来しているのだと思う。


これは、私の解釈では一種の“原点回帰”、
1970年代前半の状況に立ち戻っているのでは?と思う。
日本のロック、日本のポップスというものがまだ商売になると認識されず、
はつぴぃえんど(はっぴいえんど)も、荒井由実も、吉田美奈子も、
シュガー・ベイヴも…、活動を始めてから最初のアルバムが世に出るまで、
ライヴ中心の活動に明け暮れていた。ライヴを活動の中心にせざるを得ない
状況にあったと思う(アーティストごとに事情は異なるが…)。


ライヴ。人前で楽曲を演奏して歌う。
もう一度は原則として有り得ない。一瞬一瞬が幸福・至福の時間。


ただ、ただ、唯…。これは声を大にして言いたいのであるが、
そこで演奏して歌われる楽曲のほとんどは、
基本的にメロディーも詞も聴衆である自分が理解している楽曲であって
欲しいのだ。レコード(記録)された楽曲の追体験・再認識の場が
ライヴ(コンサート)であってほしいのだ。
一音一音、一語一語を噛み締めたいのだ。


だから、私は、山下達郎さんにコンサートのMCで
「ライヴに“予習”は必要ない」と言われてもそうは思わないし、
吉田美奈子さんがライヴで演奏した楽曲の1/3が未発表曲
(音源が発表されていない曲という意味)であれば、
疑問を感じざるを得ないし、
坂本龍一大貫妙子が共演・競演したライヴでは「突然の贈りもの」は
最低限演奏してほしいのだ。


相応のおカネを払ってチケットを押さえ、
スケジュールをやりくりして足を運び、
そこで過ごす時間に私の求めるもの。


気がつけば、このBlogに書き込む内容は、ここのところ、
ライヴ鑑賞記のようなものがほとんどになっている。


音楽の送り手の方々の活動の中心がライヴにシフトしているように、
聴き手の我々の行動もライヴが中心になっている気がする。


パッケージでなくライヴ。
それが時代の趨勢ならば、そんな時代をとことん楽しもうと思う。
幸いにして、インターネットの発展により、
ライヴに対する私たちの感想や期待が音楽家に届きやすい時代にもなっている。


音楽の受け手と送り手が、それぞれ敬意と感謝を持って音楽に接する。
新しいビジネス・モデルは、意外とシンプルなところから膨らんでいく
(「スキーム」だの「スキル」だの、そんな言葉を使う輩からは生み出されない)
気がする。


いかん。やはり上手くまとまらなかった。後で書き直そう。

裏切られ、呼び覚まされ、伝説になる。

tinpan19732010-12-14

次の日のライブは、余計な期待をせずに向かった。
そのこともプラスに作用したのかも知れない。


日曜日の吉田美奈子 & The BandのSTB139ライヴ。
ここ数年のクリスマス・コンサートでは、ベスト!


この10年ぐらい、毎年12月に吉田美奈子さんのライヴを聴きに行けている。
80年代後半から90年代を思えば、それだけでも有り難いことだけれども、
僕にとって日曜日のSTB139ライヴは、
僕にとって伝説の1993年12月の中野サンプラザのライヴに匹敵する
内容だった。


「12月のイルミネーション」が聴けた。「Christmas Tree」も聴けた。
季節柄この2曲のいずれかはゼッタイやってくれると信じていますが、
できれば両方聴きたいとリクエストした。思いが叶った。
さらに…、「Liberty」までやってくれた。
畏れ多くてそこまでリクエストできなかった。
信じられなかった。


この日は、カバーとオリジナルがほぼ半々という構成で、
演奏曲のリクエストを公式サイトを通じて募るという趣向だった。
カバーは3曲リクエストした。
チャカ・カーン「I’m Every Woman」と
ゴスペル「Precious Lord」と
ナタリー・コール「No More Blue Christmas」。
こちらに関しては、「No More Blue Christmas」を美奈子さんが
アカペラで1フレーズ口ずさんでくれただけだった。
でも、それが、うれしかった。


ちょっとドキドキした。
一度もやったたことが無いけれど、
ラジオ番組に出したはがきがDJに読まれるとき、
こんな気持ちになるんじゃないだろうか。


カバーに関しては、ローラ・ニーロやアレサ・フランクリン
そしてそれより数は減るだろうがジョニ・ミッチェルとか
あるいはキャロル・キングまできっと皆がリクエストするだろうから、
それ以外でチョイスしたつもりだ。
実際、ガーシュインからユーミンまで、いろいろ寄せられたらしい。


実際に演奏されたカバー曲は、良い意味で期待を裏切ってくれた。
ビル・ウィザーズ、ダニー・ハサウェイ、カーティス・メイフィールド
ジェームス・テイラー、スティング…。男性ヴォーカルが多かった。
さらにはブラジル音楽有り、ジャズ有り、クリスマス・キャロル有り…。
そのチョイスとパフォーマンスに品格を感じた。


長くなるので、2曲についてだけ取り上げたい。


カーティス・メイフィールド「People Get Ready」
1985年夏、葉山の某海岸の海の家で、
毎晩閉店15分前にこの曲が流れていた。
その年、ロッド・スチュアートがこの曲をカバーしていて、
そのヴァージョンが流れていた。この曲が終わり、あと2曲流れると、
僕の「閉店!」というコールのもと、店はクローズした。
あれから四半世紀後のクリスマス時期、
まさか吉田美奈子&The Bandでこの曲が聴けるとは思わなかった。
泣けた。


● スティング「Shape of My Heart」
「スティングをリクエストしてもよかったんですね?」
土曜日のライブ後早速こんなメールが寄せられたらしい。
僕も同じことを思った。ギター土方氏のリクエストにより演奏されたらしい。
1995年リュック・ベッソン監督の映画『LEON』のエンディングで
この曲を知り、大好きになった。90年代半ばに作ったオリジナル・テープには
節目節目でこの曲が入っている。トランプのハート/スペード/クラブ/ダイヤと
現実世界を掛け合わせた深〜い詞。
そういえばカラオケで何度か歌ったことがあった。今度久々に歌ってみよう。
美奈子さんの足元にも及ばないけれど…。


いつもの吉田美奈子ライヴでは呼び覚まされることのない
過去の情景がリコールされた。
加えて、可能性が少ないと思っていたクリスマス・ソング2曲に、
僕の会社選択を左右してしまった名曲「Liberty」。


今年は、例年以上にスバラシイChristmasとNew Yearが迎えられそうだ。

期待値と距離感。

tinpan19732010-12-12

期待値を、僕が勝手に高く設定しすぎてしまったのかも知れない。


「良かった」「感動した」そんな思いに浸り切れない
ライヴや新譜に接したとき、どうすればいいか?


スルーすればいいのだ。ここに記さなければいいのだ。
但し、今回は、このために、
それまで距離を置いていたTwitterも始めたし、
ここしばらく抱えていたもうひとつの問題にも対処しなければいけない。
思い切って書いてみよう。


残念ながら、今ひとつだった。僕にとって。
12/11(土)東京国際フォーラム大貫妙子坂本龍一『UTAU』ライヴ。


理由は、大きく4つ。


1.聴けると思っていた曲が聴けなかった。
新譜中心になるのは予測できた。しかし「突然の贈りもの」も聴けないとは。
会場で販売していたパンフレット同封のDVDには収録されていた。
(4,500円もして一瞬躊躇したが買い求めた。まだ聴いていない)
最低限演奏しなくてはならない曲。
先日の竹内まりやライヴやこの夏から秋の山下達郎ライヴでは
この辺りが徹底されていたように思う。


2.聴けたらうれしい曲が聴けなかった。
1980年『Romantique』収録の「若き日の望楼」。
シュガー・ベイブ解散コンサートのアンコールで歌われたが途中で終わり、
その後1977年のセカンド・アルバム『Sun Shower』に坂本龍一アレンジで
収録された「からっぽの椅子」。
この2曲をこの編成で聴きたかった。昨年のライヴでそう感じたのだ。
その思いを、事前にきちんと送り手に伝えれば良かったと思った。
Twitterや、電子メールや、手紙(!)で…。


3.新譜を聴き込んでいなかった。
『UTAU』が発売されiPodに入れて、通勤電車で計5〜6回
通して聴いた程度。歌詞カードを読みながら聴いたりしていない。
牧村憲一氏のライナー・ノーツは読んでジ〜ンとしたが…)
そこまでこの新譜に魅せられていないのだろうか?
考えてみれば、先日発売のキリンジの新譜もそんな聴き方だ。
今の自分の生活と音楽(新譜)の距離感がこうなのか?
(だとしたら悲しい)


4.WOWOWの生放送の影響?
公共の電波にライヴが流れるので、MCの内容も慎重に感じた。
Ustream配信ではもっと自由だったはず。
その場に足を運んだ人限定のオイシイ話やアブナイ話が聞けるのも
ライヴの醍醐味だと思うのだが…。
放送時間を意識してか、ライヴそのものも非常に淡々と進行した印象。


実は教授絡みで、ここ一ヶ月ぐらい僕はある問題を抱えていた。
この日もご一緒した20年来の友人にメールで厳しいことを
一方的に言い放ってしまったのだ。


この大貫さんとのツアー前、教授はソロで北米を廻られたらしい。
その模様がUstream配信されたのだが、その情報や感想が、
PCメールや携帯メールであまりに頻繁に提供され、
平日は仕事に、週末は走ることに振り回されている僕にとって、
ウザく・シツコく感じられたのだ。
UstreamTwitterへの僕の距離感が、この問題の原因として大きいと思う。
あとは対象、このブログで取り上げている音楽家たちへの距離感。
友人は今近づこうとしていて、僕は今距離を置こうとしているのかも知れない。


晴れの日もあれば、曇りも雨の日もある。
感動して、盛り上がって、心が震えるライヴばかりなんて有り得ないし、
友人との関係も数十年間変化無いなんて有り得ない。
変わるから面白いのだ。


さて師走の街を走ろう! 今夜は吉田美奈子ライヴだ。
今夜のライヴはホームページを通じて演奏楽曲へのリクエストが募られ、
ギリギリになったけれど思いを寄せたのだ。
少しだけ期待して行くことにしよう。


「昨日は大貫妙子坂本龍一、今日は吉田美奈子」。
昔の広告コピー「今日は帝劇、明日は三越」(たしかこんなフレーズだったはず)
に負けず劣らずゴージャスだ。70年代ならイザしらず10年代になっても
こんな楽しさを味わえて、やれここがヨカッタ、イマイチだったと
言えることを愛おしく思おう。

初 の“生”。僕は何を感じたか。

tinpan19732010-12-05

金曜日、日本武道館竹内まりやライヴへ。


まだ大阪城ホール2Daysが残っているようで
ネタバレになりますが、記させていただきます。
ご容赦そしてご注意ください。


とにかく、生まれて初めての“生”竹内まりや
10年前のライヴのときは忙しくて、ライヴがある事自体、
終わってから知った。今回も「チケットとれたけど行かない?」
という知人からの誘いが無ければ、気づかなかったかも知れない。感謝!


18時半開演。武道館だと九段下の駅を降りて席に着くまで15分は
確実に必要だ。17時45分に無理やり仕事を切り上げた。
オープニング・アクトはBOX。
30分で5曲ほど演奏して終了。ここで「20分の休憩」とのアナウンス。
エーッ!! 思い切りブーイングをしたかった。
オープニング・アクトがあるのは事前の情報で知っていた。
杉真理さんのパフォーマンスは楽しみだった。
(個人的には2日目のセンチメンタル・シティ・ロマンスのほうが
 聴きたかったけれど)
しかし、BOXからまりやさんへのセット替えで20分も必要なのか?
5分で済ませて、その分開演を遅くしてくれよ!
と、隣の知人に毒づいた。ロビーに出て、スナック菓子をつまみ水を飲み、
気持ちを鎮める。


再び場内が暗くなり、いよいよメイン・アクト。
今年の山下達郎ツアーのバンド・メンバーがバックを固める中、
ギターを抱えてまりやさん登場。
オープニングは「家に帰ろう」。ナルホド。こう来たかという感じ。
目の前で歌い動く“生”竹内まりやに、まだ慣れない。


三曲目「象牙海岸」。この辺りでジ〜ン。
アルバム『LOVE SONGS』が出た1980年春。
高校一年終わりの自分に戻ってしまう。
この曲でまりやさんの声がかすれた気がしたが、
ひょっとしてまりやさんも感極まったのだろうか?


数曲後に「僕の街へ」を披露してくれた。
この曲が生まれたころのエピソードとともに。
ありがとう! ゼッタイ聴きたかった大好きな曲。


もうひとつ聴きたかったし、やってくれると思っていた曲「五線紙」は、
佐橋G、土岐Sax、達郎の指鳴らしという編成で披露してくれた。
この2曲を、生で聴けただけで、正直満足。


「元気を出して」「駅」「プラスティック・ラブ」「告白」等、
ポピュラーなまりやソングも、生で聴くと格別だった。
「もう一度」「恋の嵐」が両方とも聴けなかったのはちょっと意外だった。


アンコール含め2時間ぐらいのライヴだったと思う。
素晴らしいと思ったのは、きちんと最後まで歌い、
堂々とパフォーマンスをしてくれたこと。
声が出なくなったりするんじゃないかな?
久々だし、年齢的にもそろそろ厳しいだろうし…。などというのは全くの杞憂。


MCの語りの内容もしっかりしているというか、
ファンへの感謝がきちんと伝わってくる。
あとは、やはりあの“声”は、ヴォーカリストとして財産だと思う。


最初はギターを持って、最後はピアノ弾き語り。
この辺りにも音楽家としての矜持を感じた。
最後、ひとりでピアノに向かわれたとき、
「ひょっとして『すてきなヒットソング』?」と思ったけれど、
違った。NHK朝ドラ「だんだん」の劇中歌「いのちのうた」だった。
「縁の糸」でなく「いのちのうた」で終える。
この辺りに、ひと筋縄じゃいかないというか、
まりやさんのこだわりを感じるというか、
僕が竹内まりやを嫌いになれない理由がある気がする。
それにしても、あの詞の作者MIYABIがまりやさんだったとは…。


ライヴ2日後、まだ上手く整理できない。
ビールに例えるのが、いいのかな?
バス・ペール(たぶんスペルはBASS PALE)という英国のビールがあるのだが、
独特の味わいがして好きで、置いてある店があると飲んだり、
売っている店があると買ったりしていたのだが、
10年ぐらい前某店でこのバス・ペールの生ビールを飲んだ。
その時の感覚に近いのかな。この夜の感動は…。