ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

期待値と距離感。

tinpan19732010-12-12

期待値を、僕が勝手に高く設定しすぎてしまったのかも知れない。


「良かった」「感動した」そんな思いに浸り切れない
ライヴや新譜に接したとき、どうすればいいか?


スルーすればいいのだ。ここに記さなければいいのだ。
但し、今回は、このために、
それまで距離を置いていたTwitterも始めたし、
ここしばらく抱えていたもうひとつの問題にも対処しなければいけない。
思い切って書いてみよう。


残念ながら、今ひとつだった。僕にとって。
12/11(土)東京国際フォーラム大貫妙子坂本龍一『UTAU』ライヴ。


理由は、大きく4つ。


1.聴けると思っていた曲が聴けなかった。
新譜中心になるのは予測できた。しかし「突然の贈りもの」も聴けないとは。
会場で販売していたパンフレット同封のDVDには収録されていた。
(4,500円もして一瞬躊躇したが買い求めた。まだ聴いていない)
最低限演奏しなくてはならない曲。
先日の竹内まりやライヴやこの夏から秋の山下達郎ライヴでは
この辺りが徹底されていたように思う。


2.聴けたらうれしい曲が聴けなかった。
1980年『Romantique』収録の「若き日の望楼」。
シュガー・ベイブ解散コンサートのアンコールで歌われたが途中で終わり、
その後1977年のセカンド・アルバム『Sun Shower』に坂本龍一アレンジで
収録された「からっぽの椅子」。
この2曲をこの編成で聴きたかった。昨年のライヴでそう感じたのだ。
その思いを、事前にきちんと送り手に伝えれば良かったと思った。
Twitterや、電子メールや、手紙(!)で…。


3.新譜を聴き込んでいなかった。
『UTAU』が発売されiPodに入れて、通勤電車で計5〜6回
通して聴いた程度。歌詞カードを読みながら聴いたりしていない。
牧村憲一氏のライナー・ノーツは読んでジ〜ンとしたが…)
そこまでこの新譜に魅せられていないのだろうか?
考えてみれば、先日発売のキリンジの新譜もそんな聴き方だ。
今の自分の生活と音楽(新譜)の距離感がこうなのか?
(だとしたら悲しい)


4.WOWOWの生放送の影響?
公共の電波にライヴが流れるので、MCの内容も慎重に感じた。
Ustream配信ではもっと自由だったはず。
その場に足を運んだ人限定のオイシイ話やアブナイ話が聞けるのも
ライヴの醍醐味だと思うのだが…。
放送時間を意識してか、ライヴそのものも非常に淡々と進行した印象。


実は教授絡みで、ここ一ヶ月ぐらい僕はある問題を抱えていた。
この日もご一緒した20年来の友人にメールで厳しいことを
一方的に言い放ってしまったのだ。


この大貫さんとのツアー前、教授はソロで北米を廻られたらしい。
その模様がUstream配信されたのだが、その情報や感想が、
PCメールや携帯メールであまりに頻繁に提供され、
平日は仕事に、週末は走ることに振り回されている僕にとって、
ウザく・シツコく感じられたのだ。
UstreamTwitterへの僕の距離感が、この問題の原因として大きいと思う。
あとは対象、このブログで取り上げている音楽家たちへの距離感。
友人は今近づこうとしていて、僕は今距離を置こうとしているのかも知れない。


晴れの日もあれば、曇りも雨の日もある。
感動して、盛り上がって、心が震えるライヴばかりなんて有り得ないし、
友人との関係も数十年間変化無いなんて有り得ない。
変わるから面白いのだ。


さて師走の街を走ろう! 今夜は吉田美奈子ライヴだ。
今夜のライヴはホームページを通じて演奏楽曲へのリクエストが募られ、
ギリギリになったけれど思いを寄せたのだ。
少しだけ期待して行くことにしよう。


「昨日は大貫妙子坂本龍一、今日は吉田美奈子」。
昔の広告コピー「今日は帝劇、明日は三越」(たしかこんなフレーズだったはず)
に負けず劣らずゴージャスだ。70年代ならイザしらず10年代になっても
こんな楽しさを味わえて、やれここがヨカッタ、イマイチだったと
言えることを愛おしく思おう。