ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

40年後、渋谷で叩く。渋谷で歌う。

nobu

そろそろ仕事が年末モードに入った
11月の最初の金曜日の夜19時からのライヴ。
行けなくてもいいや、還暦祝いだと思って、チケットをとった。


11月5日(金)「斎藤ノブ 還暦6夜 –ロック屋–」と題するライヴ。
ノブさんの還暦を祝って、ノブさんと交流のある音楽家たちが6日間
日替わりで登場してライヴを繰り広げるイベント。
発起人からしてスゴイ!(敬称略)
北方謙三北野武細野晴臣松任谷正隆ムッシュかまやつ吉田美奈子


僕が行ったのは第4夜、
斎藤ノブPer、村石雅行D、種子田健B、松原正樹G、重実徹K
というバックに、女性ヴォーカル3人が登場する日。
仕事を何とか切り上げて、開演前に会場についた。


会場は、渋谷109近くのプライムビル6Fの
「Mt. RAINIER HALL SHIBUYA PLEASURE PLEASURE」。
初めて訪れた。以前は確か映画館だったと思う。
交通の便が良く、ライヴ・ハウスよりちょっと大きい、
小じんまりしたいいホールだと思った。


最初に登場したのは、大橋純子さん。
ノブさんとは古いつきあいとのことだが、MCが長くて閉口した。
その語りの内容やトーンが、“ザ・歌謡界”“ザ・芸能界”チックで、
聞いていてイライラした。曲を紹介するときも、
「私にとって初めてのビッグ・ヒットとなった“たそがれマイ・ラブ”…」。
自分で自分の曲のことを「ビッグ・ヒット」と言うか?
しかも「たそがれマイ・ラブ」の売上で…?
謙譲の精神というのはないのだろうか?


最後に歌ってくれた曲「シンプル・ラブ」で、ちょっと救われた。
70年代終わり。たしか79年だったと思う。この「シンプル・ラブ」と
山下達郎「Bomber」が、当時聴いていて洋楽っぽい気持ちになれる
僕にとっての2大名曲だった。


つづいて登場したのは、山崎ハコさん。
ライヴを聴くのは初めて。ラジオやどこかで流れているのを何度か
聴いたことがある程度。一度聴いてみたかったので楽しみだった。
名曲の誉れ高い「望郷」「気分を変えて」を歌ってくれた。
コアなファンが存在して、長く活動を続けていらっしゃる理由が
何となくわかる気がした。


そして、最後に登場は、吉田美奈子さん。
スバラシかった! 今年も美奈子さんライヴを数回聴きに行ったが、
この夜のライヴはそのどれよりも素晴らしく感じた。


矢野顕子さんもそうだが、美奈子さんはとにかく
“異種カクトウギ”が似合う人というか、
この夜のような“初めて”色の濃いコラボレーションで、
何とも言えぬ“化学反応”が起きる。その“化学反応”が、
聴衆に味わい深く、二度と味わえない、FUNやJOYを提供してくれる。


パーカッションがカッコイイ曲なので演奏するんじゃないかな?
と思っていた「レインボー・シーライン」(1975年『MINAKO』収録)
を歌ってくれた。
「週末」(1973年『扉の冬』収録)もやるんじゃないかな?と思っていた。


夢で逢えたら」(1976年『FLAPPER』収録)をやってくれたのには、
ちょっと驚いた。夏木マリさんのリクエストらしい。
この「夢で逢えたら」、10月に平安神宮で行われたライヴでも
久保田利伸さんとデュエットで歌われたらしい。


ちょっと驚くとともに、そんな時代になったのかな?とも思った。


夢で逢えたら」を当時シングル・カットしようとした会社に対して、
「あれは大滝さんの作品。私のやりたい世界と違う」と異を唱えたとされる
美奈子さん。何十回とライヴに足を運んだが、この曲が歌われることは
無かった。


個人的に僕は、それほど「夢で逢えたら」に思い入れがあるわけでなく、
『FLAPPER』ならこの大滝作品より細野作品「ラムはお好き?」のほうが
好きだったりするのだが…、なんか、その、
受け入れがたい過去が、ようやく許容される歴史になったような…、
時の流れ、諸行無常もののあはれ…を感じたりした。


最後は「Liberty」を歌ってくれた。ノブさんのリクエストとのこと。
久しぶり…。駄目なのだ。「Liberty」と「時よ」「Christmas Tree」を
聴くと、自然と涙が…。
間奏の松原Gや重実Kのソロ、
ふだんの美奈子サウンドでは有り得ない音がまた味わい深いこと。


この「Liberty」のCMを制作した会社に僕は入りたくて、
このCMを作ったころは赤坂にあった会社が、
渋谷のこのホールのほど近くに移ったころ入れたのだった。
その後六本木へ、新橋へ…。社名は何度変わっただろう?
時代がどう変わろうと、そこに小さくてもたしかな“志”があれば…。


ノブさんと美奈子さんが初めて会ったと思われる
東京キッド・ブラザーズの芝居小屋があったのも、たしか渋谷…。
渋谷には、今も昔も、若人たちの希望や野望があふれている。
思い続ければ、望み続ければ、きっと…。

湘南ランニング・ミュージック。

tinpan19732010-10-17

10月の終わりにマラソン・レースがあるため、
寸暇を惜しんで走っている。
本番までにとにかく距離を重ねないと、
目標タイムはクリアできないしまず完走もできない。


先日は湘南を走った。
茅ヶ崎から平塚・二宮を抜け大磯で折り返して帰ってくる20kmのコースと、
茅ヶ崎から江ノ島を往復する20kmのコースが設定され、
自分のペースで走るというイベント。


先日も書いたと思うが、こうしたイベントにおカネを払って
無理やりにでも参加しないと、長い距離を走る気持ちがまず折れてしまうのだ。


茅ヶ崎から走り出す。国道一号の旧道か?
渡された地図をあまりよく見ていないのでわからないが、
付近は住宅地。いい香りがする。この匂い…、金木犀
金木犀にはまだ季節が早いと思ったが、考えてみれば、
その日は10月になって最初の土曜日。早くも何ともない。
暑くて暑くてたまらない日がこれでもかと続いたけれど、
10月の声を聞くとちゃんと金木犀が香り出してくれた。自然に感謝。


♪♪♪〜
頭の中でキリンジ「来るべき旅立ちを前に」が流れ出す。
ここ数年の“My金木犀ミュージック”。
歌詞の内容に金木犀は全く無関係なのだが、
この香りを嗅ぐと、この曲のイントロが脳内を流れるのだ。


キリンジといえば、『ミュージック・マガジン』が特集してくれて、
うれしかった。キリンジの魅力を私はBlogを通じて知ったので、
私の周囲にキリンジのリアル・ファンが存在しないので、
キリンジがジャーナリスティックにどう位置づけられているのか?
世間一般でどう評価されているのか?
実感として理解できなかったのだ。そうした疑問に応えてくれる
Good!な特集だった。新譜も通勤の合間に聴いている。
とびきりキャッチーな曲があるわけじゃないが、
聴けば聴くほど味が出てくるスルメ系のアルバムだと思った。


などということもとりとめもなく考えながら走る。
走っているときって、ケッコー考えごとができる。
ランナーズ・ハイみたいな状態もごく稀に訪れて、
この辺りがいいトシして走ることが好きになった理由かも知れない。


茅ヶ崎から江ノ島へ向かう。
国道134を最初走っていたが、もっと海寄りに、海を眺めながら
走れるジョギングとサイクリング用の道があるのを思い出し、海に向かう。
林を抜ける。目の前に海! いきなり相模湾


視線を江ノ島のある方向にパンする。
江ノ島はまだ遥か彼方。その手前に…、烏帽子岩


♪♪♪〜
こうなると、やはりサザン・オールスターズが流れてくるんだ。
サザンは3枚目『タイニィ・バブルス』(1980年)から、
稲村ジェーン』(1990年)までオンタイムで聴いた。


サザンについて、いつかこのBlogで取り上げてみたいと
ずっと思っていた。でも、今はその時期じゃない。
桑田氏のご病気が回復されたら、ポジティブなこともネガティブなことも
遠慮なく盛り込んだ自分なりのサザン論を記すことにしよう。


それにしても暑い! 10月なのに今日もきっと夏日だろう。
烏帽子岩は何とか通り過ぎた。
江ノ島が見えてきた〜
しかし、僕のゴールはまだ遠い。

夏の終わりのアンビバレンツ。

tinpan19732010-09-11

もうすぐ一週間経ってしまうが、
9月5日(日)東京JAZZの夜公演を聴きに
有楽町・東京国際フォーラムへ行った。


東京JAZZは、2001年か2年から始まったはず。
ハービー・ハンコックがイベント全体のプロデューサーという
ような位置付けで、会場も野外・味の素スタジアムだったはず。
一年目、二年目は、聴きに行った。


都心からの適度の距離、
完全なるアウトドアでなくサッカー場
それも20世紀の終わりに建てられた近未来を感じるスタジアムで、
20世紀の初めに生まれた偉大な音楽JAZZを聴く。
夏の終わり×野外×ライヴ…という組み合わせに、
東京JAZZは打ってつけのイベントだった。


なぜ三年目から行かなくなったんだっけ? 記憶が曖昧だ。
一年目、二年目といっしょに行った人と疎遠になったから?
ハービー・ハンコックが出なくなったから?
会場が野外じゃなくなったから?
理由はたぶん、このうちのひとつかすべてだ。


さて、9月5日日曜の夕方、国際フォーラムへ向かう。
さすがに日曜日なので開演まで少し余裕を持って出掛けた。
国際フォーラム前の広場には、食べ物の出店が出たり、
大型ビジョンから映像を流したりしていて人だかりがあった。
ヘーッ!
無機的なホール・ライヴを予想していただけに、ちょっと意外。
「東京JAZZ」なるフェスティバル的要素の強いライヴ・イベントを、
東京のど真ん中のホールで行ってしまうということでいいのか?
と違和感と抵抗感を抱いていたのだが、勝手な思い込みだったようだ。
ホールの内と外で、もっといえば近隣の丸ビルまでを巻き込んで、
「東京JAZZ」は行われていたのですね。私が間違っていました。


そうこうしているうちに開演時間が迫り、席に着く。
今回はギリギリでチケットをとったので席は2階席後方。
オープニングから2組を経て、本日の私にとってのメイン・アクト
渡辺香津美 featuring TOCHIKA ALL STARS”の登場。
一曲目は「Liquid fingers」! アルバムと同じだ!
イントロが流れただけでグッと来る。
発売から30年後に、『TOCHIKA』の曲を演奏するライヴを、
アルバムに参加したミュージシャンたちによるプレイで聴かせてくれるとは…。
しかもそのメンツが、マイク・マイニエリ! マーカス・ミラー
オマー・ハキム! ウォーレン・バーンハート!
ライヴ前々日ぐらいにこの情報を知り、聴いておかねば後悔すると思い、
予定を変更してこの日駆けつけたのだ。
アルバムの曲はほとんど演奏した。「遠州つばめ返し」まで演ってくれた。


30年前、このアルバムを聴いていたころ、高校二年生。
未来も将来も何も見えず、ユーウツとアンビバレンツが
日常のほとんどを占めていた。
30年後、このライヴを聴いていて、年齢は重ねたけれど、
自分はほとんど変わっていないと思った。


変わっていない。変わった。この種のライヴを聴きに来ると、
いつもこの二つの気持ちがせめぎ合う。
いや、それを楽しみに来ているのだろう。
それも「変わっていない」ほうの自分を感じたいのだ。
いいんだ。それぐらいの楽しみを自分に与えなければ、
未来と将来の区別がつかないまま一生が終わってしまう。


最後に登場したのは、ジャズ・クルセイダーズ
クルセイダーズでなく、名称をオリジナルに戻して今回登場。
ジョー・サンプルのピアノ。ライブでは初めてだが、
これも一生の宝物になるだろう。私にとっては、この人のピアノが、
ジャズをわかりやすく親しみやすくしてくれた気がする。
“クロス・オーバー”や“フュージョン”という言葉とともに。


クルセイダーズ…。学生のとき、サンタナに乗っていた友人の
クルマの中で良く聴いた。あれから四半世紀ぐらい。
その友人のクルマはやがてBMWになり、
そういえば先日子どもが生まれたな。おめでとう!
変わっている。やっぱり。自分も。自分をめぐる世界も。

天才少女の原風景。

tinpan19732010-08-29

ティン・パン・アレーを訪ねて〕第19回


玉川上水を走るランニング講習会に参加した。
今年の夏の暑さは異常で、余程の早朝か深夜でないと、
走り続けられない。すぐに熱中症になってしまう感じだ。


2時間走るつもりが1時間、
1時間走るつもりが30分と
一人で走っていると、暑さを言い訳にして全く距離を重ねられないので、
20kmなりを走る講習会に参加した次第だ。


♪上水沿いの小路を時おり選んだ 夏の盛りの日もそこだけ涼しくて
盛夏に良く聴いた松任谷由実「悲しいほどお天気」。
1979年のアルバム『悲しいほどお天気』のタイトル・チューン。
8月も終わりになるというのに相変わらず夏の盛りのような毎日が
続いている2010年。


この曲の映像は、玉川上水で、
自分の通った多摩美でなく武蔵美…云々の話を
以前ユーミンご本人がされていたが、
この楽曲が発表されて30年以上経って、
玉川上水沿いの小路を実際走ってみて果たして
どう見えるか? 何を感じるか?
楽しみにしたのであるが…。


もっと深山幽谷っぽいと思った。
詞にある「名も無い蔦や柳が低く垂れ込めて」いる感じも、
「絵を描く私たち それぞれ一人にさせた」感じも、
傍らを走り抜けていている限り感じなかった。


きっと走るのに精一杯で、風景を感じる余裕が無かったのだろう。
計21kmなりのコースの、ほぼ8km過ぎから玉川上水
入って、かなり疲れていた。走っていて左の川の方向には目が向いたが、
右の武蔵美も津田塾も気づくことなく通り過ぎた。
こんどは走るのでなく、この付近を歩いてみることにしよう。


玉川上水を10km以上走り続け、昭島で解散。
青梅線で自宅に向かう。途中「西立川」駅に停車した。
西立川…、たしか「雨のステイション」(1975年『コバルト・アワー』)の
舞台で、近年歌碑が建てられたはず…。
駅の向こうには昭和記念公園。ここはたしか昔、立川基地で、
LAUNDRY-GATEの想い出」(1978年『紅雀』)の舞台も、
この辺り。


疲れていなければ、そしてもうちょっと涼しければ、
途中下車して散策してみるのにな…。


25世紀ぐらいになったら、
20世紀末の天才歌人ユーミンの原風景を辿れるエリアとして、
この辺りは注目されるのかな。芭蕉奥の細道を辿るエリアのように…。

連続ドラマか? 一話完結か?

tinpan19732010-08-08

行って来ました。8月6日(金)、
山下達郎コンサート・ツアー初日の厚木市文化会館へ。


2年連続でライヴが観られることに、まず感謝。
57歳になっても3時間歌い続けられるプロフェッショナリズムに感服。


初日なので演奏曲の詳細については避けるが、
オープニング〜弾き語り〜アカペラ〜エンディング〜アンコールの
それぞれのパートにバランス良く配置された楽曲の
ひとつひとつの世界に、各楽曲にまつわる記憶の中に、
遠慮することなく入っていき浸ることができた。
イントロを聴くだけで涙腺が緩んでしまったり、
曲を聴いていて忘れていた思いが甦ったり…。
こういうのを至福の時間というのだと思う。


えっ? こんな曲やってくれるんだ!
というサプライズを含みつつも、前半に演奏すべき曲は前半に、
中盤の曲は中盤に、あの曲から後半の盛り上がりに入って、
怒涛のエンディングそしてアンコールへ。
という流れは、もはやポップスの“伝統芸能”を感じさせる。


誰が、いつ観て、聴いても、満足できるその様式美は
“一話完結”型ライヴだと思った。


これに対して、“連続ドラマ”型ライブだと感じたのは、
一週間前7月31日土曜日にSTB139で観た吉田美奈子&The Band。
今回は後半にファンク6連発。
達郎ライブのように、前半・中盤・後半のそれぞれに必ずやると思われる
定番曲は存在しない。ファンそれぞれの好みによっては
当たり・外れを感じやすい構成。
私は、ある時期から、“連続ドラマ”だと思うようになった。


いつの日か、ハッピーエンドが待っている。
1993年12月や1995年5月の中野サンプラザのような、
大好きな曲ばかりで構成されるライブが観られる。
達郎&美奈子が同じステージに立つ姿を目撃できる。


8月6日(金)厚木の達郎ライヴのアンコールで演奏された
ある一曲(楽曲の詳細については避けます)。
それは、私にとって意外な一曲、だけれどとても聴きたかった一曲だった。
この曲を、アルバムのように吉田美奈子コーラスで聴けないかな?
ツアー最終日の神奈川県民ホールで…。という淡い期待をもって
その日を待つことにしよう。

延期の理由は?

tinpan19732010-07-21

山下達郎9月15日発売予定のアルバム『WooHoo』(ウーフー)が、
制作上の理由により、発売延期となったそうだ。


前回書き込んだ直後に(一ヶ月経ってしまった)、
僕が買ったシングル4枚を含むNEWアルバム発売が発表され、
「えっ? 新譜が出るなら出るともっと早く言ってくれよ!
 コンサートを楽しむためにシングル4枚買っちゃったじゃないか」
と思いつつも、ボーナス・トラック『JOY1.5』を楽しみに、
それから吉田美奈子の作詩・コーラス参加が久々にあるのでは?
(とNEWアルバム発売が迫るといつも思うのだが…)
と微かな期待をして、amazonに予約した。


そして、今日、amazonからのメールで発売延期を知った。
以下、あくまで推測だが、今回の延期の理由を考えてみたい。


まず思ったのは、レコード会社側とアーティスト本人との思惑の相違。
達郎さんは、9/15にこの種のアルバムを出すことに
抵抗を感じていたのではないだろうか? だって…、


●9月15日という時期が中途半端。
8月上旬から10月下旬までのツアーの半分以上が過ぎた時期。
シングル発表曲以外の新曲をツアーでやるには何とも中途半端。


●既発シングル4曲を中心とした構成、
ボーナス・トラックに『JOY1.5』という内容が中途半端。
前作『SONORITE』『COZY』のときにも感じたが、
既発シングル曲の作品集でなくトータリティあふれる
アルバムを、そろそろ発表したいのでは…?
(アルバム・プロモーションの場で達郎さんの口から
「こんどのアルバムは“五目味”」という言葉を聞くたび
辛かった。ここ数作)


●『JOY』にしても、『JOY1.5』でなく『JOY2』として
きちんとした作品として発表したいのではないだろうか?


たしか、1988年『僕の中の少年』のときも
8月末に発売と一度アナウンスされ、発売されたのは10月に
なってからだった。当時FM誌か何かに、
「8月発売はレコード会社が勝手にアナウンスした」云々の
インタビューが記載されていたはず。


あれから22年ほど経っても、まだ…。
イヤ…、山下達郎ほどメジャーな存在になってもまだ、
こうした「発売延期」騒動は繰り広げられるのだろうか?


もうひとつ考えられるのは、この「発売延期」そのものが
話題作りの一環ではないか?ということ。


いずれにせよ、すばらしいNEWアルバムを、
できれば吉田美奈子が作詩・コーラスに参加した作品が収録されることを
心待ちにしていたい。


そろそろいいじゃないですか?
YMOも、
サディスティック・ミカ・バンドも、
キャロル・キング&ジェイムズ・テイラーも、
坂本龍一大貫妙子も…、
ユーミンキャラメル・ママ(-鈴木茂)のテレビ番組も、
このblogを始めて4年ちょっとで次々と実現してきたのだから…。

新譜を聴いて、夏が来る。

tinpan19732010-06-17

山下達郎シングル「僕らの夏の夢」「希望という名の光
「ずっと一緒さ」「街物語」を購入した。


日曜夜のTBSドラマ「新参者」が思いのほか面白くて、
その主題歌「街物語」がまたバッチリはまっている気がして
ちゃんと聴きたいと思ったのと、
初日と最終日に行く予定の今夏のライヴの予習を兼ねて、
どうせなら近作シングルをまとめて揃えておこうと思ったのだ。


いや、いいですね。「街物語」。
この種のマイナー調のちょっと憂いあるメロディーというのは
この種のTVドラマに凄く合っている気がするし、
夏前のこの時期の気候にも合っていると思う。
1990年の今ぐらいの時期、やはりTBSドラマの主題歌
「エンドレス・ゲーム」を聴いたときも似たような感想を持ったっけ。


加えて詞の世界。
♪この街の物語になっていく
♪物語は続いていく
市井の人びとの日々を街の視点で描いていて、その視線の優しさは
名曲「蒼茫」(1988年『僕の中の少年』収録)のようであり、
♪街の灯が輝き増す度に 魅せられる程の物語がある
(「Christmas Tree」1986年『Bells』収録)
♪幾つもの物語がまた創造られる 素敵な街のGrace
(「Graces」1996年『KEY』収録)
街の灯りや風の煌めきから、街の物語を巧みに描き出す
吉田美奈子の詩のようであり…。


松任谷由実「ダンスのように抱き寄せたい|バトンリレー」も購入した。
こちらは詞を細かくはまだ追っていない。
ラジオか何かで流れているのを聴いていい曲だなと思ったのと、
タイトルに惹かれた。


曲のタイトルが「○○○たい」というシングルで、
しかもドラマや映画の主題歌だと
ユーミン・ブームができあがるのだ。


1975年「あの日に帰りたい」
=TBSドラマ「家庭の秘密」主題歌(秋吉久美子・主演)
 第一次ユーミン・ブームへ
1981年「守ってあげたい」
角川映画ねらわれた学園」主題歌(薬師丸ひろ子・主演)
 第二次ユーミン・ブームへ


ドラムが林立夫さんで、しかもレコーディング時にドラムのスティックを
落としたりすると完璧らしいが、今回のドラムは林さんではないようだ。
あとは主演が、上記はいずれも当時を代表する女優さんだったが、
今回は中井貴一さん。これが、どう出るか?


それにしても、ユーミンタツローの新譜が出て、夏が来る。
二十歳前後の自分なら、それだけでたまらなく幸せな夏だったはずだ。
自由な時間がありまくったから、クルマの中で何度も何度も聴きまくって…。
いろんな風景や状況とセットになって、
曲にまつわる記憶が紡がれていく。
四十代後半の今は、満員の通勤電車で聴くことぐらいしかできない。
でも、そうして、僕の物語は続いていくのだ。
♪AND THE LIFE GOES ON
 AND THE LIFE GOES ON…


優秀なポップ・ミュージックは、現実を肯定してくれる。
その肯定の仕方が、さりげなくて、なにげなくて、 
研ぎ澄まされていないと…。
この思いは何十年経っても変わらないはずだ。きっと。