ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

坂道の向こうへ、坂道の途中から。

tinpan19732011-01-25

少し時間が経ってしまったが、
19日(水)SHIBUYA-AX
「さよならヤマハ渋谷店コンサート」へ。


竹内まりやさんが、
山下達郎さんを初めて生で見たのは、
学生時代のヤマハ渋谷店でのシュガー・ベイヴのライヴだった。
そのライヴを当時高校生だった佐橋佳幸さんも観ていらしたという
エピソードを昨年末の武道館で話されていた。


1985年6月国立競技場“ALL TOGETHER NOW”で
はつぴぃえんど(はっぴいえんど)が再結成したとき、
松本隆さんが久々にドラムを叩くので
当時詞を提供していたグループCCBのドラマーに
「スティックは何がいいか」聞いて、ヤマハ渋谷店で買い求めたこと。


そんなエピソードを思い出しつつ、
僕自身はヤマハ渋谷店は数度訪れた程度。
銀座店のほうがまだ訪れた回数が多い。
学生時代の夏、海の家の閉店イベントで素人バンドっぽいことを
するのに、山下達郎さんとサザン・オール・スターズの楽譜を買いに
行ったのが、そう言えばヤマハ渋谷店だったような…。


このコンサートへ行こうと思った理由は、
ヤマハ渋谷店への特別な思いというより、
やはり吉田美奈子さんが出演されることが大きかった。


島村英二D、岡沢章B、倉田信雄Kという
現在のYOSHIDA MINAKO & THE BANDの御三方も出演されるので、
ある意味安心できたし、ギターやコーラスや他の楽器で誰がどう絡むのか?
異種カクトウギ要素も期待できた。


「RIM」(2006年『Spangle』収録)
「TEMPTATION」(2002年『STABLE』収録)
という渋谷を題材にした2曲を演奏した。
いずれも21世紀になってから発表された楽曲。


「RIM」のギターは、椎名和夫氏だった。予想通り。
美奈子さんとは古いお付き合いであるし、
1993年中野サンプラザのライヴでもギターを弾かれていたし、
1995年『EXTREME BEAUTY』ではプログラミングを担当されていた(はず)。


「TEMPTATION」は、ギターは斉藤秀夫氏だったか(記憶が曖昧)?
宮崎 隆睦さんのサックスと、小坂明子さんのコーラスが
今も印象に残っている。


それから、美奈子さんがコーラスで参加した
オープニングと終盤の中西圭三さんの曲。
Twitterで実現した向谷圭三プロジェクトの楽曲らしい)
この種のメロディアスなソウル・ナンバーの吉田美奈子コーラスというのは、
やはり絶品だと思った。1982年までの山下達郎作品では頻繁に聴くことができたけれど、
今はもうめったに聴けない。ましてや、コーラスをライヴで聴ける機会なんて、
こうしたコンサートでもない限り無理だろう。


サンプラザ中野さん「Runner」「大きなタマネギの下で」。
決しておカネを払って生で聴くことは無いだろうと思っていた曲も聴いた。
オンタイムで聴いたとき同様、心は動かなかった。
大沢誉志幸「そして僕は途方に暮れる」。これにはジ〜ンとした。
そういえば、オンタイムの、80年代半ばカップ・ヌードルのCMで聴いたころも、
いい曲だと思ってカセットに録音していたっけ。
小坂明子さん「あなた」。1974年の今ごろ、小学校4年生以来にじっくり聴くわけだから
ジ〜ンとしたかったけれど、ちょっと違和感を抱いたのは…、
キーがオリジナルよりだいぶ低かったからだと思う。


あとは、松方秀樹さんのYMOシャツや、ずらり勢ぞろいしたシンセの名機や、
向谷さんの貫禄の付き方に驚いたり…、いい時間だった。


最後の、このコンサートのために作られた曲「坂道の向こうへ」
(作詞・松井 五郎、作曲・山川 恵津子)を聴いて、
ナミダが頬を伝った。フシギだった。
そこまでこのコンサートに思い入れがあったわけでも、
この曲の詞世界への理解があったわけでもないのに。


伝説のお店がひとつクローズして、
そのお店に対して自分はあまりコミットしていない。
その中途半端な距離感が、何か自分の人生を象徴しているような気がしたのと、
あとは、“道”好きなのと(“ティン・パン・アレー”も“SIDEWAYS”も“道”です)
自分の人生は“いつも途中”だとふと感じたのと、
年齢を重ねナミダもろくなっているのも大きいだろう。
ナミダの意味としては…。


このコンサートは当日はもちろん、
後日2回有料でUstream配信されたそうである。
この辺りについての思いは、また機会があれば記してみたい。