ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

35年後の9.21に。

tinpan19732008-09-21

父を亡くした。
一年半前には母を亡くした。
こういった死に直面した直後は、
やらなければならないことが目白押しで、
悲しみに浸っている間が実はあまり無い。


親戚や生前お世話になった方など、
多くの人に会う。一人になれる時間もあまり無い。
お気遣いいただいた自分の友人・知人や仕事関係の人への対応にも
気を配らねばならない。


当然、仕事はたまる。
本業以外に取得した資格のセミナーや、友人の結婚式など、
行事も目白押しだ。


ボーッとしたい。一人になりたい。
そんな時間や空間を求めるにはLiveが最適だ。


土曜日、何とか時間を作って、目黒ブルース・アレイへ。
吉田美奈子×河合代介Live。
美奈子さんの歌声は、私にとってやはり極上の癒しである。
演奏されるひとつひとつの楽曲を口ずさんだり、
各曲にまつわる想い出が駆けめぐったり…、
貴重でかけがえのない時間である。


今日は、今後の活動について美奈子さんからかなり生々しい
お話も聞くことができた。悩んでいること、考えていること、
それを聴衆である我々に提示してくれるのは有り難いことだと思った。
それに対して一ファンとしてどう思うか?
きちんと文章にして、手紙を書こうかと思った。


最近、手紙の効用を思い知らされた出来事が2つあった。


ひとつは、仕事である著名人を招いての講演会のようなものを
企画したのだが、その実現のために、思いを込めたラブレターを
書いたのだ。もちろん政治的な動きも行ったが、その方の心を動かすのに、
手紙はかなり効果があったように思う。


もうひとつは、父を亡くした直後に届いた友人からのメール。
ありきたりの借りてきた言葉ではない、
自分の内面から出てきた愛情ある言葉にあふれていた。
僕もこんな言葉で相手を思いやってあげられる人間になりたいと思った。


広告のコピーは、生活者へラブレターを書くようなもの
と習ったことがある。
吉田美奈子さんは楽曲の詩を書くとき、どんな想いで言葉を紡ぐのだろう?


“フリー・チベット”を歌った「Runta(Lunta?)」。
夜明け前の都市風景、現代に生きる私たちの悲しみや歓びを歌った「Life」。
本日のLiveで演奏された、まだ耳でした聴いたことのない
(目で詩を読んだことのない)新曲を聴きながら、そんなことを感じた。


というようなことを記していると日付が変わって9.21。
吉田美奈子さんのデビュー・アルバムが発売された日から、
はつぴぃえんど(はっぴいえんど)解散コンサートの日から、
ちょうど35年経った。


僕のこの青臭いBlogもまだしばらく続けることにしよう。