ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

置きざりにされた歓びは…。

tinpan19732008-04-15

さんざん持ち上げて、
さんざん盛り上げて、
どこまでも期待感を煽って、
そのまま宙に放置されたカンジ。


すみません(と謝っておきます)。
今日も読書日記です。
手嶋龍一『ウルトラ・ダラー』。


1968年、東京、若き彫刻職人が失踪した。
2002年、ダブリン、新種の偽百ドル札が発見される。
英国情報部員、ハイテク企業の罠、日本外交の暗闇…
わが国に初めて誕生した、インテリジェンス小説。


文庫本の裏面にこう書かれていたら、とりあえず買って読むしかない。
最近、芥川賞受賞作やら、文芸誌やらの、登場人物2〜3人で
時間経過数日間の小さ〜い物語しか読んでいなかったので、
先日の真山仁さんなり、この本なり、とにかくスケールの大きい話が
読みたかった。


この『ウルトラ・ダラー』、伏線バリバリ、時間も空間もスケールたっぷりで、
読めば読むほど面白くなって…、この週末、正直いくつか用事をぶっち切って
読み耽りました。それなのに…。
このエンディングはちょっとないだろうと思います。


読み終えた今思えば、途中で垣間見た(読んだというべきか)
ワインや料理や着物や和楽器に関する描写がところどころトゥー・マッチで、
それこそ作者のインテリジェンスが邪魔をして、
(「インテリジェンス小説」とは別の意味のインテリジェンス)
ちょっとスノッビシュで鼻についてしまう気がしました。


諜報小説、スパイ小説としたら、設定も現代的でリアリスティックで
面白いのに、対象を見つめる視線の鋭さと優しさが、
今ひとつ不足していて、研ぎ澄まされていないのだと思いました。


そういえば手嶋さんの御著、数年前知人から薦められ
たしか湾岸戦争と米国を題材にした著作を拝読したのですが、
視線がありきたりのジャーナリズムの範囲内の振幅でしかないというか、
その振幅に心を揺さぶられることはなかった気がします。
知識は増えた。情報は得た。感情は…? という思い。


たとえば、手嶋さんがこの本の題材を提供して、
真山仁さんのような方が小説化すればよかったのに
と思いました。


とにかく盛り上げるだけ盛り上げておいて、このエンディング。
佐藤優さんの解説が、ものすごく間の抜けたものに思えました。
北朝鮮北朝鮮のものと思われるホームページで、
この本を読んだからと思われる敵対感を表明した
って、ゼンゼンそんなことは大した問題ではないのだ。


人間が、描かれ切っていないんだと思う。
これはIRAが登場した高村薫リヴィエラを撃て』でも感じたことだけれど、
物語のスケールに作者と編集者が酔ってしまって。
読者が置き去りにされてしまっているカンジ。


オイオイ。人間って、そんなイイやつか。そんなわかりやすい存在か。
イヤ。イイやつだよな。でも、ちょっとフクザツで、ワガママで…。


人間や、人生を、肯定してほしいんだ。
でも、それは、安直なイージーな方法じゃなくて、
フクザツに、シンプルに、鋭く、優しく…。
小説にも、音楽にも、映画にも、
ボクが求めていることは肯定の仕方なんだろう。きっと


ウルトラ・ダラー』、最後のエンディングが今ひとつだったのは、
読み終える数十ページ前から酒を煽ってしまったせいなのだろうか?
明日朝、通勤の電車でもう一度読んで、読後感が違っていたら
報告しよう。でも、たぶん変わらないと思う。
だって面白かったら、ビール中ジョッキとワイン1杯などに負けやしない
酔いどれ大絶賛日記になったはずだから。