オフコース〜キリンジ、駆け足の四半世紀。
今日は、私信がどこまで
公信(そんな言葉はないけれど)に
なり得るかの実験。
(夏休みの自由課題だと思ってください)
同年代の仲間たちとのやりとりに
会員制の掲示板を使っている。
そこで先日キリンジについて触れたところ、
同い齢の女性から、「キリンジを聴くと、
あの頃(たぶんデビューから80年代始めを指すと思う)の
オフコースを思い出す」云々の書き込みがあった。
さあ、「これをどう思うか」について述べてみたいわけだが、
まずはエクスキューズ。
私はオフコースをちゃんと聴いていない。
口ずさめるのは「さよなら」「Yes-No」「愛を止めないで」「眠れぬ夜」の
4曲だけだ。断言できる。
だけど、それこそキミたちと曲数の多いカラオケに行くようになって、
明け方キミたちがしみじみ歌う「秋の気配」や
「ワインの〜(タイトル思い出せない)」等の70年代(だと思う。あのアレンジは)
の曲のメロディー・ラインの美しさは、本当に素晴らしいと思います。
それから80年ごろの「さよなら」なんて、
あんな曲を作ってしまったらもう引退するしかないくらいの出来栄えだと思います。
でも、聴かなかった。聴けなかった。それは、なぜか。
オフコースにまつわる匂いがダメだったんだとこの年齢になって思う。
公立高校の匂いがする。
地方の県立校だったり、都内だと都立校だったりの青春を感じる。
私立の受験校や、大学付属校、ミッション系学校の匂いは決して感じない。
自分もそういう環境にいたわけで、
だからこそそこから脱出したいという思いを、
YMOやティン・パン系アーティストに託したのだと思う。
あとは詩について。初期の「秋の気配」なりの叙情は好きだけれど、
(キミたちが歌うカラオケの画面で歌詞を追っただけですが)
80年ごろ「さよなら」等でブームだったときの、
「あなたが好きだ。この思いは言葉にできない」ということを
どの曲でも言い続けているカンジは、やっぱりツライ。
キリンジには、毒がある。
轢き逃げの歌はあるし、あの半島の国のことを歌った曲はあるし、
泣きっ面にハチじゃなくて「蛙の面にシャンパン」だし、
「もうユーウツは、今までのように優しく僕たちを包んでくれない」んだ。
シャイ、シャイネス、恥ずかしい。その感覚が、
細野さんだったり、ユキヒロ氏だったり、慶一氏だったりの
YENやビートニクスの流れを汲んでいるんじゃないのかな。
昨日、amazonから、キリンジのライヴDVDが届いた。
なるほど、こういうパフォーマンスをするんだ。
あ、そうそう、スピッツじゃないかな。
「スピッツを聴くとオフコース」ならわかる。
あのメイン・ヴォーカルのハイ・トーンと、コーラスの美しさと、
大衆性の獲得という意味での時代との距離感という意味で。
というわけで、オフコースとキリンジで考える、
ポップ・ミュージック駆け足の四半世紀。オソマツさまでした。
最後に。次は年末かな。また行こうね。カラオケ。
あのチェーン店とあのチェーン店なら、キリンジいっぱいあるから。