ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

坂の上の3つのホール。

tinpan19732006-11-20

ティン・パン・アレーを訪ねて〕第9回


所用で久々に渋谷を訪れた。公園通りを上りきったNHKほど近く。
平日なのに渋谷駅から裏通りを駆使して向かった。
人ごみが嫌いなのと、やはりSIDEWAYが好きなのだと思う。


公園通りは、70年代にPARCOが名付けたものらしいが、
このネーミングの是非は置いておいても、
「公園通りはティン・パン・アレー」だと思う。


坂を上り始めるところに教会があって、その地下には
「ジャンジャン」があった。吉野金次さんのスタジオもたしかあったはず。
坂を上って、左にPARCO。ナンダカンダいっても、私は80年代を
10代後半〜20代で過ごした世代。良くも悪くも、大なり小なり、
西武セゾン系カルチャーを吸収して今日に至った。
PARCO“にしかない”音楽や映画や本や服やイベントやLiveを求めて
この界隈に足を運んだものだ。


坂を上りきった左手は、渋谷公会堂渋谷C.C.Lemonホールに名前を変えていた。
看板が掲げられていた。企業名や商品名が、公共のホールやスタジアムの
名称になるのはどうなのだろう? 
KIRIN LAGER Presentsのイベントが渋谷C.C.Lemonホールで、
TOYOTA CUPが横浜日産スタジアム
行われることは、たぶんもうあり得ないんだろうなぁ。
「C.C.Lemon」の商品自体が無くなったらどうなるんだろう?
(たしか、これ「はちみつレモン」の後継商品ですよね)


坂道の頂上、視線を正面に戻せば、いちょう並木。
紅葉具合から、フラッシュ・バックしたのが、1987年11月7日か8日のNHKホール
大貫妙子『A SLICE OF LIFE』コンサート。


並木の色づき具合が、ちょうど今日くらいだった。
19年前と比べて、約2週間季節が遅くなっているように感じる。


あの日はたしか立冬で、木枯らし一番が吹いた。
私は、卒業半年で、会社を二つ辞めて、マイッタマイッタの日々。
そんなとき、新聞社会面の広告で、Live開催を知り、駆けつけた。
カネは無かったけれど、時間は十分すぎるほどあった。


その日は、渋谷のある会社にある人に会いに行って、
「仕事は人生の一部。自分はどう生きたいかを、まずしっかり考えてみるといい」
という言葉をいただいて、少し気が楽になった。
その後に当日券で並んで聴いた大貫さんLive。
大貫さんのLiveは、これが初めてだった。
それこそ、80年代半ば西武PARCO劇場に行こうと思ったりしたけれど、
チケットは売り切れていた。


故・大村憲司氏がギターだった。フェビアン・レザ・パネ氏がピアノで、
ドラムとベースが思い出せない? 
(D:青山純 or 鈴木さえ子 B:岡沢章 or 小原礼 or 伊藤広規 ???)
大貫さんは時にエレキ・ギターを弾きながら歌った。


「突然の贈りもの」「新しいシャツ」「黒のクレール」「夏に恋する女たち」「ベジタブル」、
この辺りの曲は予想通り演奏してくれた。
あとNEWアルバム『A SLICE OF LIFE』から何曲か。
「SIENA」「OUT OF AFRICA」、この辺りの曲はその後Liveであまり耳にしていない。
「愛は幻」をエンディング近くに演奏してくれたことを良く覚えている。


「いつも通り」「蜃気楼の街」「若き日の望楼」。
この3曲が聴ければと事前に思っていたものだ。
けれど、それは叶わなかった。世の中はなかなか自分の思うようにいかない
と当時の自分の境遇を勝手に重ね合わせて思ったのが、昨日のことのようだ。


などと、過去に浸ってはいけない。
11月はONの国。
明日は、いちょう並木をはさんでNHKホールと反対側にある
渋谷AXでキリンジのLiveだ。キリンジのLiveも初体験。楽しんで来よう。