ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

動いている山下達郎を見たことはあったけれど…。

tinpan19732012-08-28

久々に書きます。だいぶ間が空きましたが、
この方のアルバム『アルチザン』から『COZY』までのインターバル
“セブン・イヤーズ・チョビット”ほどではないと思いますので、
一部の方ご容赦ください。


山下達郎シアター・ライブ「PERFORMANCE1984-2012」を観に、
新宿バルト9へ。前売券を持っていたが劇場に行き席予約が必要で、
「満席だと観られない!」と知人に言われ、
早めに会社を出て月曜日の最終回(深夜回除く)を鑑賞。


「達郎さんて、こういう顔して歌うのか」というのが、最も強く感じたこと。
動いている山下達郎を見たことはあっても、表情までわかる映像で見たことはなかった。


ライブやCDを通じて歌声や、ラジオを通じて話し声は印象にあるけれど、
顔は写真や静止画を通じてしか認識していないため、
「こういうふうに口を開けて歌うのか」「こういうふうに口をすぼめるのか」
という辺りが今回映像を観て初めて理解でき新鮮だった。
達郎さんの歌声の物真似をする人(誰かいたような…)がこの映像を観れば、
きっともっと上手くなるに違いない。


プログラムは1時間30分ほど。オープニングは「SPARKLE」で
エンディングは「RIDE ON TIME」「恋のブギ・ウギ・トレイン」そして「さよなら夏の日」と、
ライヴを凝縮したような構成だった。各曲が演奏された年代が、
1984年から2012年に渡っていたが見事につながりひとつの世界を描き出していた。


1994年SINGS SUGAR BABEコンサートでの「こぬか雨」(生で聴いた!)や
2010年北海道の夏フェスでの「さよなら夏の日」が
(非常に良かったと観た人が言っていたので聴いてみたかった!)
視聴できて嬉しかった。


エンディング近くの「アトムの子」は、2011-12年のツアーの音源だった。
このツアー、今年4月横浜で聴いて、少し、いやかなり
心に引っかかったことを思い出した。


ドラえもん」の歌が途中で挿入されかなりコミカルに演出された
「アトムの子」だったのだが…、震災後初ツアーの本編最後が
「アトムの子」か。この演出だと、
“どんなに大人になっても、あーだこーだ言ったって、
 結局ボクたちはアトム(原子力)の子なんだよな”って解釈ができそうで、
聴いていてツラかった。そんなことをいっしょに聴きに行った人に話したら、
考え過ぎだと言われた。きっと「アトムの子」そのものが、個人的にあまり
好きでないことが原因だと思う。


震災後初ツアーということでは、オープニング「THE THEME FROM BIG WAVE」にも
驚いた。この曲がリリースされた1984年ごろ、ライブを聴いている横浜界隈をクルマで走りながら、
それこそテープが延びるほど聴きまくったので、
聴けてジワ〜ッときたけれど、何も今回のツアーでやらなくても
と正直思った。


オープニングの「SPARKLE」が始まるまでの映像が気になった。
コンサートのオープニング前のステージ裏がモノクロで描写されているのだが、
そこに吉田美奈子さんのような髪型をした人が映っていて
「え、これ、吉田美奈子? いつの映像だ? 1984年ごろ、それとも今年?
 うわ、もう一度じっくり観ないとわからない???」と思っていたのだが、
エンディング近くなって気づいた。
今年(2011-12年)のツアーだ。映っていたのは、コーラスの佐々木久美さんだ。
あまりに髪型が似ていてわからなかったのだ…。


というとりとめのない書き込みを、
これからも圧倒的なマイペースでしていくことにします。
変に結論づけず、変に予定調和にもせず、できるだけありのままに、そのままに。

30年が生んだウェル・バランス。

tinpan19732012-01-04

WOWOW松任谷由実コンサート・ツアー2011“ROAD SHOW”を観た。
このツアー、東京国際フォーラムで8月に生で観る機会があったが、
開演に間に合わず、前半終わりごろのラテン・メドレーあたりに着席。
選曲も演出も良くていいコンサートという感想を持ったが、
全体の流れがつかめなかったため、今日の放送を楽しみにしていた。


「映画」「シネマ」をテーマにしたユーミンのアルバム、そしてコンサート。
至極王道的アプローチというか、悪くなるはずがないという印象を
アルバムを聴く前から、コンサートを観る前から、抱いていた。
実際、その通りだった。


「ひとつの恋が終わるとき」「I Love You」「コインの裏側」といった
アルバム収録曲のクオリティの高さ!
これだけの曲を書ける人なんて、今の日本にそういないんじゃないか。
しかし、これが大衆性を獲得するかというと、それはまた別の問題。
ユーミンの楽曲が受け入られる空気というのは、
今の日本にあまり漂っていない気がする。
そんな空気の中でこそ上質のアルバムを発表するのが
このアーティストの素晴らしさで、
『VIVA!6×9』やこの『ROAD SHOW』の完成度・クオリティは、
21世紀の『流線形80』『悲しいほどお天気』だと言えるのではないか。
(ちなみにマイ・フェイバリット・三大ユーミン・アルバムは、
『流線形80』『悲しいほどお天気』に『時のないホテル』)


コンサートはその「ひとつの恋が終わるとき」で幕を開け、
雨を歌った曲がしばらく続き、
太陽あふれる青春の世界、異国情緒あふれるエキゾティックな世界などを描き、
最後はSFと、映画のジャンルのもつ世界観を表現していった。


印象深かったのが、着物姿で歌った「大連慕情」「春よ来い」。
「春よ来い」は、こうしてコンサート中盤でサラリと歌われてこそ
生きる曲なのではないか?と感じた。
年末の紅白の「(みんなの)春よ来い」も、あれはあれで素晴らしい
と思ったが、イントロの武部聡志さんのフレーズは、
CDや今日のWOWOWと同じオーソドックスなフレーズのほうが
相応しいのでは?と思った。


「大連慕情」は、タイトルからしてこのツアーで演るのでは
と思ったらやっぱり演ってくれた「わき役でいいから」とともに、
1981年『水の中のASIAへ』収録曲。
30年前、初めて観たユーミンのコンサート・ツアーが、『水の中のASIAへ』。
この二曲を生で聴いたのは、伊集院静氏演出のこのツアー以来。
ピアノ弾き語りで歌ってくれた「私のフランソワーズ」を生で聴いたのも、
このツアー以来のような気がする。


コンサートのテーマに沿って散りばめられる、過去のアルバムの楽曲。
「この曲を演ってくれるのか!」その選曲の良さが魅力で、
最近またユーミンのコンサートに足を運び出した気がする。


そういった意味では、今日のWOWOW
中盤ラストあたりに実際のライヴでは演奏してくれた「ガールフレンズ」を
カットして放送してくれなかったのは残念だった。
放送の最後に「ひとつの恋〜」のプロモ映像を流すんだったら、
この曲を流してほしかった。


ユーミンとバンドの女性4人がソファーに座り映画鑑賞をするという設定。
座りながら4人が交互にこの曲を歌う。視線は客席を向いている。
三谷幸喜氏がメジャーになる直前のたしか1989年ごろ
深夜ドラマ『やっぱり猫が好き』で、
恩田三姉妹がテレビのこちら側を向かいながら映画を観ている設定で
似たようなシチュエーションを描いていたっけ。
コンサートをひとつのエンターテインメントとするならば、
起承転結の「転」あたりで使うと全体が締まるというか、
幅や奥行が出る手法。そのシーン(楽曲)をカットしてしまうなんて…。


とはいえ、WOWOWは3チャンネルになって、
幅や奥行が出て良かったと思います。
映画、音楽、スポーツがうまくバランスされた気がする。
これがスカパー!まで行くと選択肢が多すぎて選べない。
選ぶ時間がもったいない。


スティング、ボズ・スキャッグスシェリル・クロウにコールドプレイ。
ハービー・ハンコックがオーケストラ編成でガーシュウィンを演奏したライヴ。
私のハードディスクには、この数日間のWOWOWのライヴがいっぱい。


いけない。話が逸れている。
ユーミンのコンサートは、エンディングで「瞳はどしゃ降り」で
映画の世界から現実に戻り、「DESTINY」で本編終了。
アンコールではしばらくコンサートではやらなかった「カンナ8号線」を
歌ってくれた。


新旧の楽曲のバランス、全体の流れ、過剰になり過ぎない演出。
選曲も構成も演出も非常にバランスがとれたコンサートだと思いました。
ユーミンがこうしたスペクタクルなコンサートを始めたのは
「マジカル・パンプキン」(1979年・伊集院静演出)からと言われている。
30年以上に渡る試行錯誤や蓄積が生み出したバランス感なのだろう。

カセットのメーカーや種類まで思い出した。

tinpan19732011-12-16

すっかりご無沙汰してしまった。
今年ももうすぐ終わってしまうし、
今日のライヴが素晴らしかったので、
久しぶりに記そう。また、ぼちぼち書いていこう。


高中正義40周年記念ライヴを聴きに、NHKホールへ。

一曲目、このイントロは…?
「BLUE LAGOON」だ!!!
ステージから客席に向かって飛び交うこの光は…?
レーザー光線だ!
30年ぶりの生「BLUE LAGOON」。
いきなり80年代へタイムトリップ。溢れ出る涙。


ファースト・アルバムの「TROPIC BIRD」や「憧れのセイシェル諸島」を
演ってくれた。アルバム『虹伝説』の最後の曲も演ってくれた。
1981年まで高中ファンだった私の聴きたかった曲はほとんど演ってくれた。


本編最後、ポンタ、宮崎ツイン・ドラムと斎藤ノブPercussionの
太鼓乱れ打ちから、高中氏が名曲「READY TO FLY」のリフを弾き始めた
ところで、また涙涙。


アンコール、後藤次利Bが加わってのミカ・バンド時代の名曲「黒船」。
6月2日から4日まで三連チャンで演奏してくれるとは思わなかったので、
さらに涙涙涙。
思えば5年ぐらい前、ミカ・バンド再々結成のライヴで聴いて以来。
あの時は同じNHKホール(渋谷公会堂だったか?)の前から10列目ぐらいで、
トノバンの真正面で聴けたんだ。あのトノバンが今はもう…(涙)。


こんなに泣いたライヴは久し…イヤ生まれて初めてだと思う。
演奏してくれた名曲たちを耳にしながら、
当時これらの曲を録音して聴いたカセット・テープの
ブランドやデザインまで思い出した。
タイムマシンだ。お願いしなくても。


(ミカ・バンドやオムニバス形式のライヴでは観ているけれど)
30年ぶりの高中ライヴ体験。
今日は泣きたかった。気持ち良く泣けた。
30年なんて、やっぱりあっという間だ。
今、48歳の自分。今から30年後にこうしてライヴを聴いていられるのか?
仕事は? 老後は? 年金は?
いや、どうでもいい。そんなことは。
これまでの30年と同じようなことが、
これからの30年も繰り返されるのだろう。
自分自身も、日本も、世界も、地球も、宇宙も。


今日の、そうだな、「READY TO FLY」の
ドラム&パーカッション・ソロから
高中ギターへ切り替わるあの瞬間の心の昂ぶりは、
間違いなくあの世まで持って行くに値する、
音楽の神様がくれた贈りものだと思った。

地デジ、Ust…。音楽番組はもっと面白くなれる。

tinpan19732011-06-23

WOWOW細野晴臣HoSoNoVaコンサート」。
知人にDVDに焼いてもらい今観終わった。
いい番組だと思った。


コンサートの合間に、出演者のインタビューを入れる手法は結構あり
ライヴ感が失われ失敗する例も見受けられるが、
この番組は上手く行っていると感じたのは、
インタビュアーが川勝正幸氏だからか。あるいはコメントを発する人びとが、
細野さん以外にも、林立夫鈴木茂佐藤博矢野顕子…というお歴々だからか。


メンバー構成から、どうしても2000年Tin Panコンサートが頭をよぎるのだが、
あのテレビ放送(たしかNHK BS)では出演者だけでなく
聴衆のインタビューが結構な秒数を割いてオンエアされ、それが
「今聴いても古くない」とかのステレオタイプのものばかりで、
“頼む。この聴衆インタビューの分一曲でも多くオンエアしてくれ”と
思ったものだ。そういえば、2001年か2年の国際フォーラムでの
鈴木慶一矢野顕子大貫妙子奥田民生宮沢和史“Beautiful Songs”コンサート後、
「放送に使う可能性がある」という前振りでマイクを向けられ、
“聴衆のインタビュー流すより、一曲でも多くオンエアを。そう思うファンは多いはず”
と答えた覚えがある。


先週土曜日はNHK教育(ってもう言わないんでしたっけ?)
佐野元春「ソングライターズ」に、待ってましたのキリンジ・ゲスト。
佐野氏がまず二人のバックグラウンドを聞いてくれたことが有り難かった。
出身大学、親がどんな人だったか(どんな家庭、どんな音楽環境で育ったか)。
そのアーティストの音楽性に、意外とこの辺りが大きな影響を与える気がするし、
キリンジに関して僕はこの部分が大きな「?」で、このBLOGにもその辺りを
記したことがあったと思う。


あとは取り上げられた詞。「エイリアンズ」はわかるけど、
「ハピネス」「悪玉」「地を這う者に翼はいらぬ」とか、
へーッ、そうかと思った。新鮮だった。次の日、電車の中で改めてこれらの曲を
iPodで聴いてみた。詞もじっくり読んでみようと思い、これはまだやってない。


「文学的」と「文学」に関する言及もあり、さすがのコメントだったが、
“他に形容する言葉は無いのか!”ぐらいのことを言ってほしかった気もした。


最後はやはり先週土曜日、BS11小原礼×尾崎亜美「音のおもてなし」に
大貫妙子ゲスト出演。旧知の間柄らしいリラックス感が伝わってきた。


いちばん印象的だったのは、尾崎さんがソロ・デビューするころ、
プロデューサーだった松任谷正隆氏が尾崎さんに
「日本にもこういう音楽があるんだよ」とシュガー・ベイヴを薦めたという
エピソード。別に不思議ではないけれど本人の口から聞くとリアリティを感じた。


あとは小原・尾崎ご夫妻がどのような司会ぶりを見せるのか?
興味深かったが(なんせ、大貫さんのBLOGでこの番組の存在を初めて知った)
ほぼ想像通りだった。


三人によるセッション「横顔」「a life」も良かった。
この秋、林立夫鈴木茂小原礼による“スカイ”が再結成されて、
そこで大貫さんが歌う話があるようだ。
これはたしか大貫さんブルーノートLiveで聞いた話。実現したら楽しいな。


以上、この一週間に観た三つのテレビ音楽番組の感想を駆け足で。
地上波、BS、CS、WOWOW…。チャンネルがこれだけ増え、
片やU-StreamにYou Tube…。
画期的な音楽番組が生まれる可能性は今かなり大きいと思う。

ありのままに和み、そのままに寛ぐ。

tinpan19732011-06-02

6/1(水)大貫妙子@ブルーノートLIVEへ。


J-WAVEの人気ナビゲイター、アンドレア・ポンピリオ氏による
震災復興支援プログラム"HOPE AT SUNRISE PROJECT"の一環として、
大貫妙子さんのバンド編成LIVEが実現。


仕事との折り合いが難しそうなので、行けそうだったら当日問い合わせて
駆けつけようと思っていた。何とか目処が立ち、当日夕方問い合わせると、
「立見席ならある」とのこと。そのまま予約し会場へ向かった。


会場内へは申し込み番号順に案内していたようだ。
僕の番が来た。「少し見づらいかも知れませんが、
一番前の端なら席が用意できます」と案内役の方がおっしゃった。
ラッキー! 確かに極端なアングルの席で、真横からステージを見る感じ。
林立夫Dや小倉博和Gの姿はほとんど見えない。
鈴木正人Bと大貫さんの姿は半分ほど見える。
僕のすぐ脇にはPA! 目の前にはピアノとシンセ! 
森俊之Kの指の動きをしっかり追うことができた。
歌っている大貫さんがPA担当者に顔を向けて、
何らかの数値を下げてと合図する仕草が見られたり…。
入退場は僕の目の前を大貫さんが通って行った。
いつもとは違うLive感を味わうことができた。


「Monochrome & Colours」で幕を開け、
「One Fine Day」「緑の風」等主に00年代の作品を前半に演奏。
ユーミンのトリビュート・アルバムでカバーした「私のフランソワーズ」も
歌ってくれた。
「a life」「三びきのくま」といった坂本龍一氏との共作『UTAU』からの
楽曲も披露してくれた。
本編最後は細野晴臣氏トリビュートでカバーした「ファム・ファタール」だった。
もちろん「横顔」「突然の贈りもの」「都会」といったスタンダードも有り。



日常の忙しさや慌しさを忘れさせてくれる、
そして3.11地震後の不安や不満も束の間忘れさせてくれる、
いいライヴだった。いい時間だった。


「One Fine Day」や「a life」で顕著なように、
大貫さんの近作では“肩肘張らない日常”“背伸びしない思い”
のようなものが、ありのまま、そのまま、歌われている。
その日常感が、3.11後緊張が続いた今、
得も言わぬ心地良さを醸し出してくれる気がする。


あとは、
ご本人も「5月が一年でいちばん好き」とおっしゃっていたが、
大貫さんのライヴがいちばんしっくりくる季節は
初夏だと思う。
5月の湿気のないからりと晴れた日の夜や、
6月のまだ梅雨が本格化する前に聴くのが、
大貫妙子ライヴの最適シーズンのような気がした。


2002年だったか、Bunkamuraオーチャード・ホールで
林立夫沼澤尚ツイン・ドラムでライヴを行ってくれて、
当時久々のバンド編成で印象深いライヴだったのだが、
あれもたしか五月だった。


あの日のアンコールはたしか「人魚と水夫」で、
そうだ、あと「色彩都市」と「愛は幻」かな。
私にとって5月の大貫妙子ライヴで聴きたい曲ベスト3は。

35年後の伝説。

tinpan19732011-05-05

ムーンライダーズ デビュー35周年記念
火の玉ボーイ コンサート」を聴きにメルパルクホールへ。


私はムーンライダーズのファンではない。
何枚かアルバムを聴く機会はこれまであったが、
ファンになるに至らなかった。理由は、
鈴木慶一さんの声が個人的に苦手なことが大きいと思う。
大滝詠一さんの声も同じように苦手である)


それなのに何故コンサートへ?
『火の玉ボーイ』はさすがに高校のとき友人にカセットに録音してもらい、
ひと通り聴いて愛着があり、35周年記念でアルバムの曲全部やると聞いたのと、
ゲスト「細野晴臣」「矢野顕子」という文字に心が躍ったのだ。


今日、最後まで、ホソノさんがいつ出て来るか、
楽しみに待っていた。しかし、出ずに終わった???
ケータイで調べてみると、当初4/2予定のコンサートが地震の影響で
5/5への延期が発表された際、ホソノさんはスケジュールの都合で
出演できずとアナウンスされていたのだ。
確かイープラスから延期を知らせるメールが来て、
「あ、4/2のチケットをそのまま持参すれば見られるわけね」
とそれしかチェックしなかった。お粗末…。


ホソノさんの件は残念だったけれど、十分に楽しめた。
とくに私にとってサプライズだったのは(事前にチェックしていなかったから)、
矢野誠さんがゲスト出演されたこと。
矢野誠さんをLiveで拝見するのは初めてだったし、
矢野顕子さんと同じステージに立たれる姿をまさか見ることができるとは…
正直思わなかった。


矢野誠さん。
1976年のティン・パン・アレー「パラダイス・ツアー」で
坂本龍一さんがキーボード参加する以前、
ティン・パン・アレーの音楽に奥行を与えた人という認識。私にとって。
この『火の玉ボーイ』もそうだし、大貫妙子『GREY SKIES』、吉田美奈子『FLAPPER』、
細野晴臣泰安洋行』、矢野顕子『JAPANESE GIRL』等で
素晴らしいアレンジ・ワークを披露している。
スリー・ディグリーズのシングル「ミッドナイト・トレイン」など、
細野晴臣×矢野誠コラボレーションの一大傑作と言えるのはないだろうか。
(久々に聴いてみたい。細野×矢野のコラボレーション)


1990年のアルバム『百和香』とか好きだった。
近年の活動はフォローしていないが、5月下旬吉祥寺でライヴをなさるようだ。
今日のライヴでリーフレットが配られていたが、それには矢野顕子さんの
コメントも掲載されていた。都合が付けば足を運んでみたい。


話をムーンライダーズに戻して…。
メンバーにバイオリストがいるのはいいなぁと思った。
個性、他との差別化という意味でも有利だ。
あと35年続いているという事実は改めて凄い。
ソロ活動とバンド活動とのバランス、
消費し尽くされてしまうような通俗的ヒットと無縁であったこと…。
そしてメンバー個々の確かな実力。
この辺りが長く続いている秘訣だろうか?


今日のライヴでは、アッコちゃん「達者でな」を大太鼓入りで聴けた。
かしぶち作品「リラのホテル」をあがた森魚ヴォーカルで聴けた。
最後は鈴木博文さんの名曲「大寒町」だった!!!
またひとつ伝説の時間に立ち会えた気がする。いい夜だった。


ところで、開演前や休憩そして終演を告げるアナウンスが、
ヒジョーに個性的で面白かったのだが、これムーンライダーズ
コンサートのひとつの特徴なのだろうか?

黄金週間生感動三昧。

tinpan19732011-05-02

地震後いくつかのライヴが中止や延期になったが、
こちらの面でも復旧や復興が始まったようだ。
私自身この一週間で3つのライヴに足を運んだ。


1つは4/27(水)目黒ブルース・アレイでの
吉田美奈子・岡沢章・土方隆行のStrings cubeライヴ。
連休前で仕事がバタついていて、
かなりの気がかりを抱えていた影響が大きく、
あまり楽しめなかった。


4/29(昭和の日)は、神奈川芸術劇場三谷幸喜演出「国民の映画」観劇。
オケピ!」以来かな。三谷さんのお芝居は。
なかなかチケットはとれない。平日の開演は早いで、
あまり観る機会は無いのだが、大いに楽しめた。
ゲッペルズをこういうふうに扱うのか…。
歴史の教科書で知った人物の新たな一面を、
ヒールっぽく思われる人物の人間臭さが、
三谷さんらしくちょっと可笑しくちょっと物悲しく描かれていて、
とても良い余韻が残った。


5/1(日)は、HoSoNoVaコンサートで日比谷公会堂へ。
ホソノさんはアンティークな小じんまりしたホールが好きなのかな?
2005年12月だったかのTokyo Shynessコンサートは九段会館だった
(私はチケットとれなかったが)。
九段会館は3.11の地震でかなりの被害を受けた。
公演前、地震来るなよ!と思いながら建物に入った。


コンサートはサスガ!だった。
高田蓮、コシミハルとの三人編成で始まり、
「Lonesome Road Movie」から伊賀B、伊藤Dそして鈴木茂Gが加わり…。
アッコちゃん(矢野顕子)とのデュオ、
さらには林立夫D、佐藤博Kを加えてのティン・パン・アレー編成有り…。


アッコちゃんとのデュオ、生で聴くのは初めてだった。
終わりの季節」を歌ってくれた。そんな気がした。
この曲が収録されたアルバム『HOSONO HOUSE』が発売された
1973年から74年にかけて、オイル・ショックそして『日本沈没』ブーム。
今と状況が似ている。トイレット・ペーパーを求めて行列ができると、
僕たちは「終わりの季節」を聴きたくなる。


アッコちゃんソロは「無風状態」「風をあつめて」だった。
アッコちゃんの「風をあつめて」が聴きたくて、一時期ピアノソロ・ライヴに
良く足を運んだが聴けたことが無くて…、この夜はもう…、ジ〜ン!!!
アンコールで、細野さんとのデュオでもう一曲、
できれば「恋は桃色」あたりが聴ければサイコー!だったのになぁ。


ティン・パン編成での「PONPON蒸気」は、
2000年NHKホールでのTin Panコンサートを想い出した。
「香港ブルース」「蝶々さん」を聴くと、
1975年横浜中華街でのコンサートが脳裏をよぎる。
ちょうど2日前、三谷さんの芝居を観た後、中華街で食事して、
このコンサートが開催された「同發別館」がまだ健在なのを確認して、
ちょっと嬉しくなったのだった。そう言えば。


2時間弱でコンサートが終わってしまい、
それはちょっと残念だったけれど、
皆々様の体力を考えれば野暮は言うまい。
これからも、こんな記念碑的ライヴを、たまにでいいから聴ければ、
それで幸せであると思った次第。