そして今は来た〜40周年の朝に思ったこと4点〜
大貫妙子『ROMANTIQUE』発売40周年当日の朝に、思ったこと4点。
①秋の発売だと思っていた。
このアルバムを初めて聴いたのが、発売された1980年の秋だった。
当時私は高校2年生、友人が録音してくれたカセットテープを聴いたのが、
秋の曇天で雨が少し降っていた日。
圧倒的に秋、曇りや雨が似合うアルバムだと思う。
自分が聴くのも、このシチュエーションが多い。
「7月21日発売だったとは?」40年目にして新たな驚きが…。
今年、梅雨が長いのは、このアルバムの40回目のメモリアル・イヤーだからでは?
前向きに言えば、これで、太平洋高気圧も心置きなく勢力拡大できるのでは?
②2014年の大貫妙子40周年コンサート
2014年、東京国際フォーラムでの大貫妙子音楽活動40周年コンサート。
細野、林、鈴木、松任谷がゲスト出演したライブ。
オープニングがこのアルバムの一曲目「CARNAVAL」で、
アンコール1曲目がこのアルバムの最後「蜃気楼の街」だった。
(アンコール2曲目、最後は「突然の贈りもの」だったが、これはある意味当然)
「CARNAVAL」で始まり、「蜃気楼の街」で終わる。
名盤『ROMANTIQUE』と同じ流れ。大貫妙子のキャリアを凝縮しているのだと思う。
アルバムでは、パリに、グリニッジビレッジに、ハリウッドに、キエフに、バレンシア…を
旅して、最後シュガーベイブ時代に描いた東京に戻った。
キャリアでは、街へ、都会へ、色彩都市へ、dreamlandへ、さまざまな土地や音楽を
旅して、最後、蜃気楼の街に戻った。
③大貫さんの文字
ツイッター#ROMANTIQUE40thで、プロデューサー牧村憲一氏が、
「若き日の望楼」の本人直筆の歌詩を公開してくださった。
大貫さんの字、想像と違った。もっと涼やかな字を書かれる方だと思った。
私の中では、かなり暑苦しい、そうだな、こういう字を書くコピーライターは多い、
そんな印象。そのギャップが魅力であり、クリエイティビティなのだろう。
あと、原稿用紙「air」レーベルのものなのですね。
この時点では「ディアハート」レーベル、まだなかったのかな?
④そして今は来た
「若き日の望楼」、21世紀になってからのライブでも時々歌われるが、
大貫さん「そして今は来た」のところ「そして今来たの」と歌うようになった。
ここは、この曲大好きな私としては、オリジナル通り
「そして今は来た」と歌ってほしい。その方が文語っぽく響いて好きだ。
(意味としては「そして今来たの」が正しいのだろうけど)
2010年、教授との『UTAU』ツアー、最後の北海道公演のアンコールだけで歌われ、
当時U Streamで配信され、私は忘年会で聴くことができなかった「若き日の望楼」。
あの時は、「そして今来たの」と歌ったんだろうな。きっと。
坂本龍一のイントロのピアノは、オリジナルと同じフレーズを奏でたのだろうか?
同じだったら、私の涙腺は崩壊していたことだろう。
『ROMANTIQUE』40周年、おめでとうございます。
この名盤を世に送り出した皆々様の能力と情熱に、心から敬意を表します。
これからも、ますますの、ご活躍を!
私は、そうだな。次は50周年で思ったことを5つ書き綴れるようにしたいと思います。