ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

予定調和の作り方と残された時間。

tinpan19732007-07-03

日曜日、横浜アリーナ
松任谷由実「シャングリラⅢ」へ。


ユーミンのコンサートには、
1981年から85年、
高校の終わりから大学の終わりくらいまで
よく行った。
苗場での第一回目のリゾート・コンサートをたまたま観て、
伊集院静氏演出の「水の中のASIAへ」ツアー、
黒田明氏演出で初めて日本武道館を使用した
「REINCARNATION」ツアー、
コンサートではなくVisualiveと称した「DADIDA」ツアー
などを目撃した。


社会人になって時間がなくなったのと、
チケット自体が非常に取りづらくなったのと、
世の中のブーム現象にどこか抵抗を感じていたため、
その後しばらく距離を置いていた。


「シャングリラ」もⅠ(1999年)はビデオで観た。
愛聴していた85年くらいまでの曲が多く使われたこともあり、
“サーカスとの融合”というテーマもわかりやすく感じられ、
ユーミンのコンサート=スペクタクルのひとつの到達点という好印象だった。


Ⅱ(2003年)は、代々木へ観に行った。
ユーミンのコンサート自体久々だった。
席が悪く見づらかったのと、曲と曲つまりアクトとアクトのつなぎが
間延びしている気がして、あまり楽しめなかった。
「リフレインが叫んでる」(1988年『Delight Slight Light KISS』)
「WONDERERS」(1989年『LOVE WARS』)
という、個人的に好きではない、時代とユーミンの“バブル”を象徴した曲が、
コンサートのメインで使われたことも大きい。


そして、今回のⅢ。
「ようこそ輝く時間へ」(1982年『PEARL PIERCE』)
「時のないホテル」(1980年『時のないホテル』)
といった発売自体が梅雨のこの時期だった曲が、演出もスバラシく楽しめた。
とくに「時のないホテル」の演出など、このコンサートの白眉だと思う。


ただ、これはⅡでも感じたことなんだけれど、
楽曲のもつ世界観を膨らませて、
(「詞になっているのは世界観のほんの一部。
  言葉になっていない部分をどう表現するか」
 とⅡのメイキング番組で松任谷正隆氏が語っていた)
“夢”をテーマに、ストーリーを紡いでいく
という手法には限界があるのではないか。


たとえば、一曲目など、
グレイス・スリック=デデュー
という解釈をしないとストーリーが成立しないと思うわけで、
それはやはりどうしても違和感がある。


聴衆のイマジネーションに解釈は委ねられるわけだが、
私はⅡもⅢもツアー・パンフレットを読んで初めてストーリーを理解できた。
果たしてストーリーは必要なのかと思った。それよりも、
「最後なんで、聴衆それぞれの思い入れの多いであろう楽曲の世界を
 シャングリラならではのスペクタクルな演出により表現しました」
という手法のほうが、わかりやすく共感を得やすいと思う。
(バジェットも大きいプロジェクトでもあり、そうしたほうが得策では)
楽曲自体もファン投票で選ぶくらいの、わかりやすさ・親しみやすさが
あってよかったのでは…。


こう思うに至った理由はカンタン。
私は、そのコンサートが楽しめたか否かの判断基準は、
聴きたい曲を演奏してくれたかどうか。ユーミンのコンサートの場合、
「DESTINY」(1979年『悲しいほどお天気』)
「埠頭を渡る風」(1978年『流線形80』)
のいずれかが聴ければ満足。どちらも聴けたら大満足。
この二曲はファンの間でも人気が高く、いつぞやのベスト盤発売時の
収録曲アンケートでもベスト5に入っていたと思う。
今回、終盤のハイライトが、このいずれでもなかったのは大きかった。


とはいえ、ある時期全く疎遠になっていたユーミンのコンサート。
また次の機会もきっと足を運ぶだろう。ユーミンに限らず、
ホソノさんも、美奈子さんも、大貫さんも、達郎さんも…。
時間の許す限り、チケットが取れる限り。


カウント・ダウンは、始まっている。
10年後また聴けるか?と問われれば、Yesと断言できない時期に、
すでにもう皆、差し掛かっていると思うから…。