ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

『白夜行』と自己嫌悪。

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ファースト・シーンと次のシーンを見ただけで観るのを止めた。
今日は、音楽から離れて、小説とテレビドラマの話。

東野圭吾氏『白夜行』、これは私が今まで読んだミステリーの中で
確実にベストテンに入るくらい好きな小説だ。
それが、この1月からTBSの連続ドラマになると聞いたので、
とりあえず第一回から録画をしておいた。

年明けから慌しい日々が続いて、録るだけで観ることができなくて、
ようやく先程から観はじめたのだが、10分で観るのを止めて、
今これを書いている。

「時代を変えないでほしい」。
少年少女時代は、73~74年のオイル・ショックごろ。
80年代始めに大学生になって…。という原作に忠実にドラマ化してほしかった。
主演俳優の年齢や視聴率を考慮してそうする気持ちはわからないでもないが、
私がこの小説に感情移入したのは、主人公と自分がほぼ同年代だったことも大きい。

73~74年ごろ、小学校低学年、学校から帰り遊んだ路地。
夕暮れどき、工事途中で投げ出された無人の建物。
80年代はじめ、大学生、サークル活動。
ポロ・シャツ姿の少年。レイヤード・カットの少女。

その場面場面の湿度までわかるんだ。皮膚感覚として。

主演女優、これもミス・キャストだ。私にとって。
この物語特有の影・ダーク・サイドを表現できるとは思えない。

原作を最初に読んだ物語が、映画やテレビドラマになったとき、
多くの場合失望する。
砂の器』や『犬神家の一族』など、何度も映画やドラマになったコンテンツは、
ほとんどの場合、自分が初めて観たときのヴァージョンがBESTである。

これ、悲しいことだな、と思う。
自分の脳の中が、偏見や先入観で凝り固まっているカンジ。
ただの“昔は良かった”オヤジ。
自分がいちばんなりたくない人種になりつつある気がする。

ヨ~シ、明日あたり、私にとって稀なケース
“昔より今のほうがゼンゼン好き”な例「フィギュア・スケート」について
書くとするか。トリノ五輪開幕も目前だし…。