ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

8年たっても楽しめた。「いけないルージュマジック」

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春の化粧品キャンペーン・シリーズ、今日は1982年・資生堂「いけないルージュマジック」。
(「い・け・な・い・ルージュマジック」かも知れないが、当ページはこちらで表記統一)
80年「不思議なピーチパイ」につづいて、こちらも牧村氏が制作に関わられたらしい。
全盛期の資生堂のキャンペーンに二度も携われたとは、恐れ入る。スゴイ。ウラヤマシイ。

もう、この企画は、忌野清志郎氏と坂本龍一氏をキャスティングした時点で勝利!
というカンジがする。
プロモーション・ビデオでの教授とキヨシローのKISSも、
札束バラまくビジュアルの井上嗣也氏のアート・ディレクションも、
「お母さんは、もう許しませんから」という仲畑貴志氏のキャッチ・コピーも、
(注:広告のコピーだけで、キャンペーンのコピーは仲畑氏ではないと思います)
すべてキヨシロー・教授両氏ありきの産物。
優秀なクリエイティブほど、構造はシンプルなのだ。

楽曲も、オープニングのいかにも80年代初頭なドラムの音(リン・ドラム?)から
清志郎の声が轟き、坂本氏のシンセが絡んでいく、いたってキモチいい、
シンプルなテクノPOP。

といいつつ、明快でわかりやすいクリエイティブほど、実は深かったりするのだ。
難しいことをカンタンにみせる技、
教授も、井上氏も、仲畑氏も、そんな技術に長けた達人。

名うてのクリエイターが、自由に伸び伸びと遊んだカンジ。
その裏では達人ならではの技術があふれているんだけれど、
そんなことは微塵も感じさせずに愉快・軽快・爽快な春を。

このシングル・レコードは、友人から借りた。
8年後の1990年春、その友人が自動車雑誌の編集者になり、
なぜか私は直前に会社を辞めた。フリー・アルバイターとして、
その編集部で働かせもらい、当時トヨタから発売になった
ガル・ウィングの新車発表会を手伝った。

ガル・ウィングのクルマに乗って、カー・ステを大音量にして、
キラー通りを走った。そのとき、カセットで流れていたのが、この曲。
キモチよかった!
仕事も、未来も、見えない、25歳過ぎのプー太郎だったけれど。
自分が、なんか、パンクの…、
それこそポール・ウェラーマルコム・マクラーレンにでもなったような
そんな気がした春だった。