ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

堀江社長とYMOの賞味期限。

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仕事してちょっと呑んで今帰って来たのだが(午前2時23分)、
ライブドア堀江社長の件はその後どうなったのだろう?
宮崎被告、阪神大震災ヒューザー証人喚問と同じ日にぶつけるあたり、
何らかの力が作用しているのかな。やっぱり。

近鉄買収に、ニッポン放送~フジテレビに、選挙出馬。
一年半ちょっとか、時代の寵児として在任期間は…。

ブームとか、旬のものとして、メディアが祭り上げる有効期限は、
だいたい一年半くらいみたいだ。二年だとちょっと長すぎる。

YMOが、第一回ワールドツアーから中野サンプラザで凱旋公演を行って、
大ブームを迎え、“売ってたまるか!”『BGM』発売までとほぼ同じ時間だと思う。

ブームって、渦中にいた人にしかわからない、独特の感覚があるらしい。
自分が消費されてしまう感覚。生きているのに自分が葬られてしまうような感覚。
人の“気”に晒されるって、常人には耐え難いんだろうな。きっと。

『ソリッド・ステイト・サヴァイバー』が、まさしくその絶頂期のアルバム。
テクノポリス」「ライディーン」は、名曲というより時代の象徴となった曲。
テクノ・ポップからニュー・ウェイヴといった音楽はもちろん、
広告やアートといった当時のサブ・カルチャーや、
数年後のニュー・アカデミズムまで含んだムーヴメントの中心として
YMOは機能したと思う。

その時代に、そこそこの感受性をもって日々を過ごしたハイ・ティーンは、
必ず何らかの影響を受けた。ご多聞にもれず僕もYMOはっぴいえんどを知り、
ティン・パン・アレーを知った。ほぼ同時期にブレイクした
山下達郎さんも、大滝センセイも…、皆つながっているんだと知った。
はっぴい~ティン・パン系であるか否かが、重要な価値基準になった。

盛者は必衰の理を表わすべく、
『BGM』『テクノデリック』といった諸行無常の響きに乗せて、
YMOは83年に散開していった。

僕たちにとってYMOは興味の対象だったけれど、
ライブドアが投資の対象だったり、
いやライブドアに経済行為の対象とされた人・企業にとっては、
なんと申し上げていいかわからない局面を迎えられていると思います。

が、その先の処し方を、実は教えてくれたんです。
細野さんは、坂本さんは、幸宏さんは。僕たちに…。