ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

塀の上の音楽。

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当ブログにコメント&TBを寄せてくださる「オランダの薔薇」さんが、
ご自身のブログでムーンライダーズのことを“パ・リーグのロッテ”と称されていて、
それが妙にヒットしたというか、ど真ん中のストライクでした。私にとって。

今年はロッテが31年ぶりに日本一になったから、時代は変わるらしい。
31年前は1974年で翌75年は、ここでも度々取り上げているように
ティン・パン系名盤ラッシュの年。来たる2006年もそうなるよう願いつつ、
今日はムーンライダーズ~はちみつばい~鈴木慶一さんあたりのお話を。

私にとっても、ムーンライダーズあがた森魚さんは、風都市系の“パ・リーグのロッテ”だったと思います。
あがたさんなど「赤色エレジー」(1972年)のヒットで経営面で風都市の屋台骨を支えたのに、
すみません。小学3年生だったもので。

「火の玉ボーイ」を聴いたことがあるくらいで、ずっと過ごしてきたのですが、
92年梅雨時に出た矢野顕子さんの弾き語りアルバム『SUPER FOLK SONG』で
鈴木慶一氏作詩・作曲「塀の上で」をカヴァーしてから状況が変わりました。

矢野さんのこの曲が良くて何度も聴いて、はちみつぱいのオリジナルも聴いて、
慶一氏のヴォーカルと武川氏のヴァイオリンがいいなと思ったりしました。

そうこうしているうち、10月になり、なんと、私は慶一氏ご本人と遭遇してしまったのです。
三軒茶屋の日本酒の種類が多いと評判の居酒屋で。
おまけに隣には、私の大好きな原田知世さんがごいっしょでした。
原田さんのアルバムのプロデュースをされている頃で、レコーディングの帰りだとおっしゃっていました。

原田さんはノー・メイクで透き通るような肌がヒメダカのようでした。
慶一さんはコラムニスト泉麻人さんに似ているなと思いました。
しっかりお二方からサインをいただきました。

うれしくなった私は、それからしばらくして「塀の上の音楽」と題する小文を書きました。
92年当時はインターネットなんてなく、パソコン通信も敷居が高かったので、
書いた文章は、職場の先輩の友人のはっぴい~ティン・パン系音楽ファンの方にお見せしたくらいでした。
(手紙ですな。要するに。その方は長崎にお住まいで、何度かはっぴい~ティン・パン礼賛
 のお手紙のやりとりをしました。文面は現在私がこのブログで書いているようなことでした。
 当時、E-メールがあれば、もっと続いていただろうと思います)

その「塀の上の音楽」は、ワープロで書いたので、この週末に古い書類を探してみたのですが、
出てきませんでした。

「塀の上で」とミカ・バンド「塀までひとっとび」の2つの「塀」のある曲を取り上げ、
はっぴいえんどティン・パン・アレー系の音楽を「塀の上の音楽」と称し、
当時流行していた例えばドリ・カムとの違いを解き明かし(?)、
(気品があるとか、品格がある、とか、そんな程度しか表現できなかったはずですが
 差別化、というか差別していたと思います)
「彼らは塀の向うに何を見たのかな?」
と、まるで塀=ベルリンの壁みたいに仰々しく表現したように思います。

恥ずかしい。でも、ちょっと読んでみたかった。13年前の文。