ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

がんばれ!『ミュージック・マガジン』

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かつて『ミュージック・マガジン』(1980年以前は『ニュー・ミュージック・マガジン』)は
権威だった。競合のないオンリー・ワンの雑誌だった。
この雑誌の主張に付いていけるように、私もがんばったりしたものだ。

独占には弊害もあり、
70年代初頭のいわゆる「はっぴいえんど一派vs頭脳警察一派」の“日本語ロック論争”。
75年のセンチメンタル・シティ・ロマンスの1stアルバムへの編集長の偏見ともとれる批判。
時としてさまざまな波紋を引き起こしたそうだ。

名物編集長によるクセのあるジャーナリズム。
荒井由実さんなど、デビュー時、北中正和氏や小倉エージ氏など、当時の編集者にファンが多く、
ある日編集部に遊びに行ったところ、ユーミンのことを大キライな編集長が戻って来たので
慌てて帰ったというエピソードを聞いたこともある。

ミュージック・マガジン』に限らず、時には暴走さえしてしまうような
個性あふれる雑誌が、私は決してキライじゃなかった。
大学卒業後初めて就職した会社には出版社を選んだほどだ(すぐ辞めましたが…)。
雑誌をつくることと、ミュージシャンがアルバムをつくることは、
すごく似ている行為だと思った(今書いていて気づいた)。

今日、ここで書くために、Webで画像を探すべく検索していて知ったのだが、
そんな『ミュージック・マガジン』が今苦戦してるらしい。

毎月、立ち読みして興味ある号は買うというスタンスを私は数十年つづけているので、
いつも接していたわけだが、私もうすうすそう感じていた。

読者といっしょに年齢を重ねるのか?
新しい読者を獲得するのか?
読者を消費者とすると、多くの商品・サービスが抱える問題と重なる。

あの表紙のイラストをやめて、活版を復活させたらどうか(マジで)?
宝島的な方法論は、本誌でやるのではなく、別に雑誌を作って(またはWebで)やればいいのでは…?
ミュージック・マガジン』の過去の遺産を、NHKライブラリーと同じように活用したらどうか?
など、素人目にアウトサイダーとして思う。

実は、現在の編集長と私は高校の同級生のようなのだ。
しかも高3のときは同じクラスだったらしいのだ。
当時、音楽の話どころか言葉を交わしたことさえ記憶にないけれど、
がんばってほしいと心から思う。同じ高校を同じ年に卒業した、同じ音楽ファンとして。