ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

「あつさのせい」で始まり、「雨のウエンズデイ」まで続いた。

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ナイアガラ・レーベル誕生30年を記念して、
河出書房から文藝別冊「総特集 大瀧詠一大瀧詠一大滝詠一のナイアガラ30年史」
というムックが発売になった。

ずっと読みたかった「分母分子論」が再録されていてうれしかった。
ここ数日は、大滝さんのファースト・アルバムを聴きながら
この本を読むのが楽しみである。

ところで、ティン・パン・アレーとの関連でいえば、
(ナイアガラーの方々にとっては常識なのかも知れませんが…)
世間一般で考えられている時期より早くから、彼らは演奏し、
世間一般で考えられている時期より遅くまで、彼らは演奏していたんだ
と、気づいた。いずれも大滝氏のアルバムを通じて。

一般的には、細野氏・林氏・鈴木氏・松任谷氏のキャラメル・ママは、
73年の細野氏『HOSONO HOUSE』で初めて集ったと思われていますが、
実は72年の大滝氏『大瀧詠一』の「あつさのせい」で
ひと足早くセッションが実現しているんですね。
(このファースト・アルバムのご本人の解説に書かれてありました)

キャラメル・ママはその後ティン・パン・アレーと改称し、
77年ごろ自然解消した(レコード会社との契約が無くなり)と云われていますが、
81年『A LONG VACATION』の名曲「雨のウエンズデイ」の演奏は、
この4人なんですね。再集合というほうが適切なんでしょうけれど、
ティン・パン・アレーの終わり方をフェイド・アウトと捉えるなら、81年まで続いていた
と云っても差し支えがないような気がします。

いや、「解散宣言」などしていないし、それを商売にもしていないわけだから、
「まだ、つづいている」「永遠だ!」と解釈してもいいわけで、
ここ数日ご紹介しているように元ティン・パン系の方々の
良いアルバムが続出した1989年以来、私はそう思い続けています。