アッコちゃんは原点回帰!? 「WELCOME BACK」
1987年11月21日『GRANOLA』発売時のインタビューで、矢野顕子さんは
「子供が難しい年齢に差しかかってきたので、しばらく音楽活動を控えたい」
という趣旨のコメントをされた。恒例だった“出前コンサート”も休止となり、
「次のオリジナル・アルバムを聴けるのは、いつかな?」
と、ファンは気をもんだものだった。
それから、一年半後の1989年4月21日、
アッコちゃんは“ただいま~”というカンジで、
ちょっと近所に買物に行ってました風に、
何事もなかったかのように帰ってきてくれた。
私たちは、“おかえり~”と快く迎えたのだった。
アルバム・タイトルはその名の通り『WELCOME BACK』。
一曲目の「It’s for you」からブッ飛んだものだった。
パット・メセニーの曲のカヴァー。
(アルバム『ウィチタ・フォールズ』収録。
映画『ファンダンゴ』の挿入歌として結婚式シーンに流れる)
しかもパット・メセニー(G)本人と、チャーリー・ヘイデン(B)とセッションしている!
いや、とにかく、これが、スバラシイ。パットのバージョンより、個人的に好きだ。
映画『ファンダンゴ』のシーンが印象的だったので、
この曲を、友人の結婚式のお色直し後の再入場の曲として使わせていただいた。
雑誌編集者の友人だったが、その上司の方が雑誌の編集後記で、
この選曲を褒めてくださった。うれしかった。
「パットに、矢野さんに、感謝!」した。
休業中(といっても1年5ヶ月だが)、矢野さんは、
家事をしながら、ジャズを聴くことが多かったという。
ご存知の通り矢野さんは、青山ロブロイで幻の天才少女と呼ばれたJAZZウーマンでもある。
YMOとの活動などでしばらくコンピューター音楽に親しんでいたが、
「即興音楽家としての自分のルーツを確認した」との発言もこのころ読んだ覚えがある。
他には、ソニー・ハンディカムのCM曲や、フォスターのアメリカ民謡などを収録。
上記のパット、チャーリ以外にも、ドラムが元ウェザー・リポートのピーター・アースキン
やデヴィッド・パーマーだったり、ベースが後年いっしょにツアーを回る
アンソニー・ジャクションだったり、スタジオはN.Y.パワー・ステーション…、
次作以降への布石ともいえるレコーディングとなった。
(この後には米国に移住、MIDIからEPICソニーにレコード会社も移籍し、
自らのプロデュースによるアルバム制作となる)
一年ちょっとのプチ・リタイアから元気に復活。
自らの存在を再確認して、90年代への準備完了!といった趣きのアルバムである。
「子供が難しい年齢に差しかかってきたので、しばらく音楽活動を控えたい」
という趣旨のコメントをされた。恒例だった“出前コンサート”も休止となり、
「次のオリジナル・アルバムを聴けるのは、いつかな?」
と、ファンは気をもんだものだった。
それから、一年半後の1989年4月21日、
アッコちゃんは“ただいま~”というカンジで、
ちょっと近所に買物に行ってました風に、
何事もなかったかのように帰ってきてくれた。
私たちは、“おかえり~”と快く迎えたのだった。
アルバム・タイトルはその名の通り『WELCOME BACK』。
一曲目の「It’s for you」からブッ飛んだものだった。
パット・メセニーの曲のカヴァー。
(アルバム『ウィチタ・フォールズ』収録。
映画『ファンダンゴ』の挿入歌として結婚式シーンに流れる)
しかもパット・メセニー(G)本人と、チャーリー・ヘイデン(B)とセッションしている!
いや、とにかく、これが、スバラシイ。パットのバージョンより、個人的に好きだ。
映画『ファンダンゴ』のシーンが印象的だったので、
この曲を、友人の結婚式のお色直し後の再入場の曲として使わせていただいた。
雑誌編集者の友人だったが、その上司の方が雑誌の編集後記で、
この選曲を褒めてくださった。うれしかった。
「パットに、矢野さんに、感謝!」した。
休業中(といっても1年5ヶ月だが)、矢野さんは、
家事をしながら、ジャズを聴くことが多かったという。
ご存知の通り矢野さんは、青山ロブロイで幻の天才少女と呼ばれたJAZZウーマンでもある。
YMOとの活動などでしばらくコンピューター音楽に親しんでいたが、
「即興音楽家としての自分のルーツを確認した」との発言もこのころ読んだ覚えがある。
他には、ソニー・ハンディカムのCM曲や、フォスターのアメリカ民謡などを収録。
上記のパット、チャーリ以外にも、ドラムが元ウェザー・リポートのピーター・アースキン
やデヴィッド・パーマーだったり、ベースが後年いっしょにツアーを回る
アンソニー・ジャクションだったり、スタジオはN.Y.パワー・ステーション…、
次作以降への布石ともいえるレコーディングとなった。
(この後には米国に移住、MIDIからEPICソニーにレコード会社も移籍し、
自らのプロデュースによるアルバム制作となる)
一年ちょっとのプチ・リタイアから元気に復活。
自らの存在を再確認して、90年代への準備完了!といった趣きのアルバムである。