ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

黒船、再来!? サディスティック・ミカ・バンド「天晴」

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サディスティック・ミカ・バンドはティン・パン系なのか?と云われれば、答はNOである。
が、70年代半ば、ティン・パン・アレーと同じように洒落たサウンドを届けてくれたバンド
(「洋楽の模倣でなくオリジナルとして消化して提示してくれた」と言ったほうがいいかな)
として、ここでは同列で扱いたい。
(細野さん、教授とつづいて、今日はユキヒロ氏の89年の動向も記せるし)

人材の交流はあったし(実際、細野さんは一度ミカ・バンドでベースを弾いたことがあるらしい)、
細野晴臣氏と加藤和彦氏は、私にとってニッポンのPOPミュージックの両巨頭といえる存在である。
(映画界の黒澤監督と小津監督、プロ野球の長嶋氏と王氏のようなもの)

ミカ・バンドは、ロキシー・ミュージック等をプロデュースしていたクリス・トーマス氏を
プロデューサーに迎え名作「黒船」を74年に発表。このアルバムはイギリスでも発売され、
ロキシーのファースト・アクトとしてツアーに帯同するという偉業を成し遂げた。
(これが75年だと思っていて、ミカ・バンドが画期的なことをすると時代が変わる。
「1989年は、1975年だ」説の根拠としたかったが、一年ちがってました)

そんなミカ・バンドが、ヴォーカルに桐島かれんさんを迎え
89年当時で13年ぶりに再結成して新作「天晴」を発売、
東京ベイNKホール(浦安にあった。今はない。バブルのひとつの象徴だと思う)で
一回限りのライブも行った。

たしか、衣装提供がオンワードだったり、シングル発売された「BOYS & GIRLS」が
マツダ・ファミリアのCMに使用されたり、80年代の終わりらしいタイアップが付いた。
アルバムのセールスは順調だったと思うし、タイアップも目論見通り、
発売元の東芝EMIにとって、このプロジェクトは成功だったと言えるだろう。
(あ、こんど再結成・再生プロジェクトの検証なんていうのも面白いかも。
 93年のYMO再生とか、ちょっと意味合いが違うけれど94年のシュガー・ベイブ再発とか、
 2000年のティン・パンとか…)

アルバム自体も、良かった。 当時、何度も繰り返し聴いた。
「BOYS & GIRLS」はミカ・バンドが歌うべき曲だと思うし、
加藤氏らしい曲、高中氏らしい曲はあるし、小原氏はヴォーカルに作曲に大活躍だった。
変にトガっていない品のいい大人のポップスという印象。
「賑やかな孤独」(タイトルからしてカッコイイ!)「愛と快楽主義者」など、
森雪之丞氏の詩が良かった。「ダシール・ハメット&ポップコーン」故・安井かずみさんの詩は、
「さすが!」というカンジ。

メンバーそれぞれが、東芝EMIと契約していたり、
フリーだったり所属レコード会社の問題がなかったため実現したプロジェクトだったと思うが、
ファンとしてはいい夢見させてもらったというか、
相変わらずオシャレでPOPで時代との距離感が以前と変わっていないように感じた。

時代といっしょにトシをとったというか、
「変わらない」存在を提示してくれたことが「新しい」かったのだ。1989年の春。

*このアルバムも現在、廃盤のようですね。画像が悪くて申し訳ないです。