ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

今デビューしても新しいだろうな。矢野顕子「Japanese Girl」

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ティン・パン・アレーの女性アーティストをまず取り上げていますんで、
今日は矢野顕子さん。子連れの天才少女として、世の中を騒がせた1976年の
デビュー・アルバム「Japanese Girl」。

いや、もう、はっきり言って、2005年の今このアルバムでデビューしたと
しても圧倒的に斬新だと思う。
「電話線」なんて、どんなジャンルにもカテゴライズできない、
永遠にアヴァンギャルドの名曲だと思う。

はっぴいえんどの三枚目のアルバムの米国レコーディングに関わられた
三浦光紀氏により、このアルバムもロサンゼルスで。
しかも、リトル・フィートを従えて(ホントに従えているカンジ)。

とにかく、彼女はピアノが凄い。
若かりし日々から青山ロブロイなどでのセッションで培ったそのスキル。
(イヤな言葉だ。いきなりビジネス用語っぽくなるから「腕前」と言おう)
彼女のセッションの歴史には、「敗北」という文字はない。

デビュー・アルバムのリトル・フィートはローウェル・ジョージ
「ギャラは受け取れない」と言わしめたそうであるし、
後年、パット・メセニーにもツアー・キーボーディストとして
誘われたほど。

彼女はコンポーザー、ソング・ライターというよりは、
プレイヤーなんだと思う。

たとえば、ほぼ同じキャリアを持つティン・パン系の
他の3女性アーティストと比べて、
自作曲は少ないはず(時間がある時に数を調べますが…)。

「スーパー・フォークソング」「ピアノ・ナイトリィ」等、
ピアノ弾き語りで他人の曲(本人の曲もあるが)を歌っているアルバムが
象徴的だが、この人は他人の曲も自分の曲にしてしまうのだ。
複雑なコードで、オリジナルとは全く異なった解釈で…。

ただ、それゆえに、本人が作る楽曲の引出しの少なさに
ちょっと物足りなさを感じてしまうのも事実だ。

この辺りの考察は、また近いうちに。