ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

大貫妙子さんのデファクト・スタンダード。「MIGNNONE」

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吉田美奈子さん、松任谷由実さんと続いたので、今日は大貫妙子さん。
今回は直球勝負で初期代表作といえる「ミニヨン」を取り上げようと思います。

ソロ・デビューして「グレイ・スカイズ」「サン・シャワー」の二枚のアルバムを
クラウンから発売。質的な評価は高かったもののセールスに結び付かず、
レコード会社をRCAに移籍して、音楽評論家・小倉エージ氏をプロデューサーに起用しての
心機一転のアルバム「ミニヨン」(1978年)。

「レコード&コレクターズ」1997年の大貫妙子特集によると、
「売れる」ということを意識して、詩も曲もかなり書き直ししたらしい。
ちょっといじりすぎでは…と思わせる曲が、アルバム前半には結構あるが、
「突然の贈りもの」「横顔」「海と少年」といった、
これ以降大貫妙子のスタンダードとなる楽曲も生まれている。

それにしても、音楽評論家をプロデューサーに起用する
というのは、当時の音楽業界ではどのように評価されたのだろうか?
クリティックとクリエイティブは両立しない
というか、求められる能力が異なると思うのだが…。

自分がプロデュースした音楽がクオリティ面でもセールス面でも
評価されなかった場合、
音楽評論家としての仕事にかなりマイナスとなるのでは…?

「ニュー・ミュージック・マガジン」元・編集者にして、
はっぴいえんどのアルバムから制作に関わっていて、
荒井由実をデビュー直後から評価していた小倉エージ氏。

現在に至るまでコンサートで繰り返し歌われる楽曲を多数生み出した
という意味では、小倉氏のプロデュースは成功と言えるのだろう。

しかし、セールス面では今ひとつだったらしい。
1978年は、「君のひとみは10,000ボルト」「時間よとまれ」等
資生堂カネボウの化粧品会社のキャンペーン・ソングが、
すでにNo.1ヒットを出していた時代。

「黒のクレール」マクセル・カセットテープCMが1981年。
「夏に恋する女たち」同名ドラマ主題歌が1983年。
この1978年の時点で、何らかのタイアップがとれていれば、
大貫妙子のブレイクも早まったと思う。

しかし、そうすると、ヨーロッパ三部作が生まれなくなるわけで、
この三枚が大好きな私はそれはそれでちょっと困る。