ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

ビートルズと『微熱少年』の時代。

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朝日新聞・夕刊の一面に連載されている特集「ニッポン人脈記」が、
12/12(月)から「ビートルズの時代」になった。

「人脈」という言葉をタイトルに使うセンスは「?」だが、
連載は思いのほか面白く、読むのが日課になっている。

1966年6月30日~7月2日のビートルズ来日公演をめぐる
さまざまな人のさまざまな顛末が記されているのだが、
この取り上げられている人がスゴイのだ。

ビートルズを呼んだ伝説のプロモーター・永島達司氏や、
宿泊先キャピタル東急ホテルの支配人、
前座をつとめたドリフターズやブルー・コメッツや内田裕也氏、
聴衆だった沢田研二氏や、
この来日に関するルポルタージュを書いた竹中労氏、
それを絶賛した三島由紀夫氏まで…。
当時の主要文化人オン・パレードの趣きで、
各々の人間模様が端的ながらも鋭く描かれている。

さすがに私は3歳で、この騒動を知る由もないのだが、なんとなくその空気感がわかる。なぜかといえば…?

松本隆氏が1985年に著した初小説『微熱少年』が、
1966年のビートルズが来た夏を描いているのだ。

この『微熱少年』はその後、何と松本隆氏ご自身が監督し映画化され、1987年初夏に公開された。
斉藤由貴さんの実弟が主演デビューし、たしか森山良子さんがお母さん役。
吉田拓郎氏が広告代理店プロデューサー役、細野晴臣氏が電車の運転手役で出演。
サントラは「風街図鑑」87年バージョンとでもいうべく怒濤の松本ワールド。
フジテレビも出資した映画だったと思う。

しかし…、映画の興収は今ひとつだったようだ。
Amazonで今DVDを買おうとしても、売っていない。

私は、小説も、映画も、十分に楽しんだ。
ビートルズ来日が、どんなにスゴイ事件だったか」
スバル360やVAMジャケットや等々力L’OASISと同じように感じることができた。

「always~三丁目の夕日」がヒットしているそうだから、
昭和30年代モノとしてこの映画ももう一度リバイバルしないかな。