ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

進化への向き合い方。変化への付き合い方。

tinpan19732010-03-09

会社のPCが新しくなった。
デスクトップ型からノート型へ。
OSだと2000ProからXPになったのかな。


変わりたての今は、便利と不便が混在している。
処理速度が速くなってうれしいと思った矢先、
保存した書類の置場や配置が変わったのにとまどったり…。


こんなことを感じながら、僕の頭は、
レコーディング方式がアナログからデジタルへ移行した
1986年へトリップする。


1986年、山下達郎さんが3年ぶりにオリジナル・アルバム
『POCKET MUSIC』を発売してくれた。
今となってはたかが3年(『ARTIZAN』から『COZY』なんて7年以上)。
1984年の『BIG WAVE』だって企画モノと言いつつも
半分オリジナルみたいなもの。それからならたかが2年のことなのに、
当時は物凄く間が空いたと感じたものだった。


デジタル・レコーディング、当時達郎さんはPC98を使って
打ち込んでいたと思う。その手法の変化にとまどい、求める音像を
全く表現できず、発売までに3年なりの時間を要したと
当時のメディア等での発言を目に耳にした覚えがある。


次の『僕の中の少年』まで2年半。そこから『ARTIZAN』まで3年近く。
80年代半ばから90年代、山下達郎さんは寡作になっていった。


一方で、松任谷由実さんは一年一作。年末発売をルーティン化していった時期。
(70年代後半から80年代初め、一年二作なんて時期もあった)
時代の必然としてのデジタル・レコーディングを取り込みつつ、
とまどいつつも、その過程も含めて提示しようというスタンスだったのでは
と今思える。


1986年『ALARM a la mode』までは、まだティン・パン…
いや80年代パラシュート・サウンドというべきか、
そんな音をしていた。シンセサイザーを効果的に使いつつも、
林立夫D、高水憲司B、鈴木茂G、松任谷正隆Kが主要リズム隊。
(曲によっては島村英二氏がドラムを叩いたり、後藤次利氏がベースを、
 松原正樹氏や今剛氏がギターを弾いたりしたけれど)


ところが1987年『ダイアモンドダストが消えぬ間に』になると、
音世界が一変する。ドラムから林立夫氏のクレジットが消えた。
もちろん林氏が音楽の世界を離れたことも大きいが、
打ち込みが主流になって生ドラムの音がほとんど聴かれない時代となった。
ユーミンはシンクラヴィアを導入。このアルバムや
次作『Delight Slight Light KISS』で全面的にフィーチャーされた
ドラムの打ち込み音。当時違和感を覚えたものだが、それ以降たとえば
00年代には圧倒的に古く感じた。


クロニクル(年代記)なんだなと思う。
アルバムなんだから、その時その時の在り方が提示されればいいのだ。
10年代になった今は、味を感じたりする。


アルチザン(職人)的に、こだわってこだわって、
自分の納得できる世界が表現できるまで作品を発表しないのも手法なら。
過程・プロセスを開示して、その時のツールでできる最大限を提示する
ポップ・アート的なアプローチもひとつの手法。


僕のこのBLOGも、少し間が空いてしまった。
山下達郎さんのこだわりと松任谷由実の潔さの中間ぐらいの
インターバルで更新していきたいものだ。