ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

美しい幕の引き方。

tinpan19732009-09-18

今週前半、イチロー選手の偉大な記録がメディアを賑わせた翌日、
同じ愛知県出身で10歳ほど年長の工藤投手(横浜)の
自由契約が報道された。


工藤公康投手、46歳。私と同年齢である。
槙原投手など同期の選手が一人、また一人と引退し、
数年前からプロ野球の現役で活躍する同期は工藤投手だけになってしまった。


自分より年下の選手が増えるにつれて、
プロ野球への興味は失われて行ったように思う。
音楽にも同じことが言えて、自分より年下の音楽家が増えるにつれて、
興味が失われていくような。いや、年齢による好奇心そのものの後退、
あるいは生きていくのに必要な仕事やら家庭やらに付随する
さまざまなことが、趣味に没頭する時間や気持ちを奪っていくことが
大きいのだろう。


工藤選手が高校三年生で、
甲子園でノーヒット・ノーランを達成して話題となった1981年。
音楽の世界では、このBlogで取り上げる人たちは
ほとんど20代後半で、各々が独自の方法論でブレイクし
オリジナリティを確立していった。


YMOは“売ってたまるか”の『BGM』発売。
大滝詠一氏の“ロンバケ”が大ヒットしたのもこの年。
山下達郎氏は前年「ライド・オン・タイム」のヒットを受け、
日本全国をツアーに明け暮れた日々。


吉田美奈子さんは『モンスターズ・イン・タウン』を発売して、
“ファンクの女王”と呼ばれ出した。
大貫妙子さんは『ROMANTIQUE』から『AVENTURE』と、
ヨーロッパ路線を突き進み、
矢野顕子さんはカネボウ春のキャンペーン・ソング「春咲小紅」がヒット。
松任谷由実さんも角川映画ねらわれた学園」主題歌「守ってあげたい」が
ヒットして、第二次ユーミン・ブームへ。


工藤投手は、この年の甲子園のスターだったが、
私にとっては毎年誕生する甲子園のスターの一人でしかなかった。
同期・同年齢への共感など覚えることなく、
むしろ高校スポーツの全国大会は数あれど、なぜ野球だけ全試合が
テレビ放送されるのか?疑問・抵抗を感じていた。


工藤投手への思い入れを感じ始めるのは、80年代後半。
たしか日本シリーズで二年連続MVPに輝いたりしたころ。
試合では憎たらしいほど活躍して、
インタビューではとぼけたような言動を繰り返す。
大先輩の東尾投手にも物怖じしない発言が報道されたりして、
「オモシロイやつ」と思うようになった。
“新人類”と呼ばれた我々の世代(命名は故・筑紫哲也氏らしい)、
メディアはプロ野球界の“新人類”として工藤投手を扱いたかったのだろう。


その後、工藤投手はダイエー、巨人、そして横浜へ。
キャリアを重ねるにつれ、誰よりも己の体を労わり長く現役であろうとする
そのプロフェッショナリズムに、私は敬意を感じるようになった。
ただ一人残った同期として、いつまでも現役でいつづけてほしいと
思うようになった。


人は皆それぞれ勝負する土俵があって、その土俵からいつ退くか?
ある程度の年齢になると考え実行しなければいけない時期が来る。
その身の引き方は潔くありたいと私は思った。今でも思う。
ただ潔すぎるのは良くない。ボロボロになるまで現役に固執するのも美学だ。


工藤投手は今後どうするのか? 見守りつづけていきたい。
同期・同年齢としての勝手な思い入れをもって。