ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

「読む」「聴く」≒「摂る」「食べる」なんだ。たぶん。

tinpan19732009-05-02

平日の忙しさや週末の慌しさで、
本を読めない日がつづくとイライラする。
新聞や雑誌以外の活字を適度に読めているかが、
僕にとっては精神状態のひとつのバロメーターのような気がする。


奥田英朗氏の作品を二冊読んだ。
どちらも文庫本で。会社への往復の時間を使って。
実はこの4月から、会社へ毎朝9時半に行かねばならなくなって、
今までより1時間は早い電車に乗るようになって、
その混雑ぶりに恐れ入っている。


考えてみれば、通勤ラッシュを毎朝経験する生活は20年ぶりだったりする。
往きの電車の中で、新聞の朝刊に目を通すのは長年の習慣になっていて、
それができないのは苦痛である。生活のリズムが崩れる。
約30分、満員の電車の中でiPodの音楽だけ聴いて過ごすのは、
イライラする。音楽と新聞、電車の中では二つのことをしていないと、
あの密室の中で気が紛れない。


せめて、本を読むことにした。
急行に抜かれる各駅停車に乗れば、何とか網棚の上にカバンは置ける。
新聞を折り畳んで読むのはまだ気がひけるが、本なら何とか許されそうだ。


奥田英朗氏は、
おなじみのトンデモ精神科医・伊良部シリーズ第三弾『町長選挙』と
映画化され今年公開されたらしい『ララピポ』を読んだ。


奥田作品はその自虐性が好きというか、
そこで描かれる人間の切なさや情けなさにたまらないリアリティを感じる。


町長選挙』では、今回、
ナベツネホリエモン黒木瞳さんを想起させる
登場人物が各短編の主人公になっていた。


『ララピポ』は、
対人恐怖症のフリーライター、Noと言えないカラオケボックス店員などが、
各章の主役として登場して、それぞれの主役が大きなストーリーの中で
微妙に絡み合って…というアルトマン監督の映画『ショート・カッツ』を
思わせる展開。“格差社会を笑い飛ばす”“下流文学の白眉”と
文庫本カバー表4に記されているが、ナルホドと思った。


民放の、3ヶ月=1クールで終了するテレビ・ドラマを見なくなって、
20年近く経つ。20年以上前、テレビ・ドラマを通じて感じたリアリズムと、
今、奥田作品を読んで感じるリアリズムは似ている。そんな気がする。


奥田作品を読み始めるのとほど時を同じくして、
スガシカオさんやキリンジの音楽を聴くようになったのだが、
奥田作品から感じるリアリズムと、
スガ・キリンジ作品の詞から感じるリアリズムは、
近いのかな?と思ったりもする。


スガシカオさんの、
物事に躓いてしまった友人を見て“本当はシメシメと思って”しまう
「PROGRESS」(『PARADE』収録、最近の音楽は年号がすぐに出てこない)、
白いシャツの似合う頭のいい女の子の“エリやムネに汚いものをこぼして”
しまいたいと夢想する「優等生」(『SMILE』収録、年号覚えてません)。


キリンジ
轢き逃げする歌だったり、親の遺産でしばらくプー太郎する歌だったり、
“負け犬は路地で嘔吐、真夏にキャメルのコート”という詞が印象的な
(キャッチーで大好きなフレーズ)、
堕ちた経済戦士の歌「ダンボールの宮殿」(『47’45”』収録、年号不明)、
“永久凍土も溶ける”世紀の終わり、偉大な20世紀の終焉を歌う
壮大なクリスマス・ソング「千年紀末に降る雪は」
(『3』収録、きっと20世紀末に発売されたのでしょう)。


キレイキレイだったり、美し過ぎるだけの描写とは違うリアリズム。
それが上手く小説や音楽に消化されていると、
そんな小説や音楽に出会うと、忙しかったり慌しかったする日々の中で、
小さな幸せを感じて、明日へのビタミンになったりする。
野菜や果物と同じように、小説や音楽が必要なのだ。僕の毎日には。