ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

花曇りのような日曜日の連想。

tinpan19732009-02-16

日曜日、国立新美術館加山又造展を観た。
有名な「雪」「月」「花」はもちろん、
シュール・レアリスムで描かれた動物たちが皆
哀しそうな目をしていると感じたり、
水墨画のモノトーンなのに深い質感に驚かされたりと
いい時間を過ごす。


「わかった。あの歌の意味が…」。
突然そんなことが脳裏をよぎる。
大貫妙子さんの一枚目『GREY SKIES』から『SIGNIFIE』までが
音が良くなってボーナス・トラック付きで再発されたのは、
一昨年だったろうか?


二枚目『SUNSHOWER』のボーナス・トラックに、
シングル「サマー・コネクション」B面の「部屋」という曲が収録された。
それまでアルバム未収録だったのでこの再発で私は初めて聴いたわけだが、
なぜか無性に好きになって…、あれは、そうだ。秋だ。再発されたのは。
たぶん一昨年、2007年だったはず。往復の電車の中でよく聴いた。


シンプルで素朴な大貫さんのメロディー、
音数は少ないのにゴージャスさを感じさせる坂本龍一氏アレンジ。
♪熱い血を重ねた深い色の中に〜
というサビからのメロディーなど、“ありがち”と背中合わせなんだけれど、
“イイ” と思わせるのは、テクニックでなくスピリットで作られた曲
だからではないだろうか?と思ったりする。


ただ、曲はシンプルなのに、詞は一読しても意味がわからなかった。
大貫さんは絵の学校に通っていたことがあったから、その頃のことを歌った曲
なのだろうと漫然と思い、そのままにしていた。
シュガー・ベイヴ時代から今に至るまで、とにかく大貫さんの詞は、
文字数が少ない。いろんな解釈が可能だ。その分難解でもある。
解説やコメントがないと誤解してしまうこともしばしば。
今日、加山又造展を観て、この詞の意味が少しわかった気がした。


帰って、月刊『文藝春秋』掲載の
芥川賞受賞作「ポトスライムの舟」(津村記代子)を読む。
イイ!
最近、仕事絡みの本ばかり読まなくちゃならなくて、
自分の読みたい本を読める時間がなかなか作れなかったので一気に読んだ。


登場人物が少なく、ほとんど変化のない日常を淡々と描く作品が
最近の芥川賞には多い気がして、この作品もその流れか?
と一瞬思ったがゼンゼン違った。いや流れはそうだが中味がゼンゼン違った。
“「派遣世代」の文学”というキャッチフレーズや、
山田詠美さんの選評“『蟹工船』よりこれでしょ”というフレーズが、
抵抗なくリアリティをもって私に迫って来た。
描き方がビンボーくさくない。それが好きな理由だと思った。


1970年代半ば、“四畳半フォーク”と称された音楽があった。
その系統の音楽は80年代そして現在へとカタチを変え生き続けているが、
そうした音楽と、このBlogのテーマである「ティン・パン・アレー」系音楽の
違いも、その“描き方”の違いなんじゃないだろうか?
たとえば大貫妙子さんにしても、上記「部屋」や有名な「突然の贈りもの」も、
かなり生活感を全面に押し出したリアリズムな歌だと思う。
ただ、そこでは“小さな石鹸カタカタ”鳴らないし、
現状吐露だけじゃない、“寂しさの向こうにある希望”“生の肯定”が、
さりげなく、でもしっかりと、描かれている(気がする)。


なぜか、今日は話が大きくなりすぎて、上手くまとまらないけれど…。
加山又造を観て、津村記代子を読んで、大貫妙子を思ったことを
一種の連想ゲームのように感じたのは、
立春が過ぎて、例年より早く春一番が吹いて、
2月なのに4月ぐらいの気温で、花曇りのような天気の日曜日だったから
ということが大きいと思う。