ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

記憶が流れ行く。ポップ・スターのフル・マラソン。

tinpan19732008-12-06

水曜日、東京ドームの
沢田研二「人間60年 ジュリー祭り」へ。


平日の午後3時開演、終演は午後10時近かった。
間に30分の休憩はあったものの、
ジュリーは80曲近く歌ったと思う。


私は、安井かずみさんが詞を書かれていたころの
ジュリー作品が好きだ。
「あなたへの愛」「追憶」が聴けてうれしかった。
できれば「胸いっぱいの悲しみ」「魅せられた夜」「白い部屋」も
聴きたかった。


「恋は邪魔もの」が聴けるとは思わなかった。
それから、荒井由実作詞「ウィンクでさよなら」も。
いずれも、ライヴに似合う軽快なナンバー。
「ウィンクでさよなら」はレコードでは
山下達郎大貫妙子がコーラスだったはず。
1976年の4月か5月のシングル発売だったから、
レコーディングはまだシュガー・ベイブ解散前に行われたと思う。


「危険なふたり」
勝手にしやがれ
「時の過ぎゆくままに」
日本人の十人にひとりは口ずさめるんじゃないかと思われる
有名なヒット曲を、ライヴで聴くと
楽曲の素晴らしさに改めて驚かされ、売れる必然を感じた気がした。


TOKIO」は、発想の勝利というか、
糸井重里さんはサスガ!だと改めて思った。
この曲(1979年12月発売)から、
ニッポンの歌謡曲の80年代は始まったのだ。
周囲ではYMOも「テクノポリス」のイントロで、
教授がヴォコーダー・ヴォイスで、
TOKIO, TOKIOとのたまわっていたっけ。


終演近くの「あなたに今夜はワインをふりかけ」。
77年か78年ごろのサントリーCMに使われ、
たしかシングル「サムライ」のB面曲。
ワインを飲みまくってカラオケに流れたとき、私がよく歌う曲。
こんな曲もやってくるんだ。大声で歌った。


私は80年代以降のジュリー作品はほとんど知らない。
40年を超えるジュリーのキャリアの15年ぐらいしか把握していない。
それもシングル作品のみだ。
そんな私でも、きちんと楽しめるコンサート。
“売れること、メジャーであることの意味と価値”を改めて考えさせられた。


40年以上駆けつづけたポップ・スターの7時間・約80曲に及ぶLive。
ずっと走り続けた人が、目の前でフル・マラソンを走って、
それを沿道で応援しつづけたような、そんな夜だった。
その曲を聞いていたときの自分、あの曲が流行っていたころの自分。
いろんな記憶が脳裏に浮かんでは流れていった。