ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

マイナー9thのちメジャー7th。

tinpan19732008-10-27

ジョアン・ジルベルトの東京公演が延期となった。
ちょっと、というか、かなりショックだ。
延期先である12月、私は何とか都合がつくものの、
いっしょに行くはずだった人がNGになってしまったのだ。


ボサノヴァの大御所のLiveを聴くことができる貴重な機会。
もう一度…は、たぶん、もうないだろう。年齢的にも。
そのパフォーマンスはもちろん、
独自のスタイルや価値を作り出した人特有の気・パワーに触れてみたかった。
感じたかった。ぜひ、あの人といっしょに…。


コンサートは、そのアーティストを知っていたり好きだったりする度合いが
私と同等かそれ以上の人と行くようにしている。
“感じるツボ”があまりにかけ離れ過ぎていると、
コンサート終了後の空気が冷たくなる。
かなり美味しいお酒や料理じゃないと、その空気は保てない。


いや、そもそも、飲食とは“待ちの美学”だと思うのだ。
洒落たレストランでも、肩肘張らない居酒屋でも、
注文した料理が出てくるまでの“間”。
ここに、どんな会話を交わせるかが、「楽しかった」を大きく左右する。
「美味しかった」にも影響するだろう。


この“間”に、あまりそのアーティストのことを
知らなかったり好きじゃなかったりする相手に、
熱くアーティスト論を語っても虚しいだけだ。
百年の恋も、熱々のスープも、あっという間に冷めてしまう。


アーティストへの理解度や共感度が同等な相手だと、
専門的な会話を交わすこともできるし、
ただ“よかった”“よかった”と言い合うだけでも心は通じ合い、
その余韻がいつものお酒さえより味わい深くする。


アーティストやそのパフォーマンスへの知識量や情報量が
圧倒的に上回る人が相手だと、終演後に訪れる飲食店は教室になる。
私は無邪気な生徒になり、博識な先生に次々と質問を浴びせ知識を吸収する。
料理から得られる栄養やカロリーと同様に。


コンサートにいっしょに行く人について、
アフター・コンサートのひとときについて、
綴ってみようと思ったが、あまり上手く行かないので、
この辺りで止めることにしよう。


ジョアン・ジルベルト。知り合ったばかりなのに、
きっと楽しめるに違いないと感じた人と行くはずだった。
終わったらあの店へ行って…などと、久々にアフターについてあれこれ
思いを巡らした。そんな行為がまた楽しかった。でも叶わなかった。


でも、ひょっとしたら今日…。会えるかも知れない。
それは、それで、うれしい。いま、メールを待っている。
この揺れ動く感情、ボサノヴァのコード進行みたいだ。