ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

ティン・パン・アレーを往くクルマたち。

tinpan19732008-10-15

松任谷正隆『職権乱用』を読む。
自動車評論家としての氏の書き下ろしエッセーである。
タイトルからも、文章全体からも、掲載された写真からも、
松任谷氏のひとつの特性である“自虐性”が存分に感じられる。


この“自虐性”が、ガソリン価格がこれだけ上がり、
株価がこれだけ下がった時代に、どう響くのだろうと思った。
「生活感がない」「メルヘンだ」、荒井由実がデビューした
第一次オイル・ショックのころ、その音楽の独自性に対して
当時支配的だった音楽評論家たちが下した批評と同じものを、
2008年の松任谷氏のこの著作に感じた。


僕は、クルマに、フェティズムやロマンティシズムを
感じないよう、感じないよう、生きてきた。
読むもの、聴くもの、観るもの、着るものや飲み食いするものには
“文化”を感じそれを自分なりに追求しようととしても、
クルマだけは“生活”のレベルに留めておこうと努めてきたように思う。


中学三年生のときの、ちょっと左がかった社会教師の
「私なんかクルマは、軽(自動車)のセコ(中古車)専門。
 あんなもん生活の道具で走ればいいんです」
という主義にかなり影響(洗脳?)されたような気もする。


とはいえ10代後半になると、
ポルシェやメルセデスはスゴイ!、ドイツは偉大だと思ったり、
ユーミンの歌詞に登場する「白いベレG」「ドアのへこんだ白いセリカ」の
時代性と記号性を考えたり、80年代始め松任谷氏が運転する
黒のアルファ・ロメオを某所でお見掛けしたときはカッコイイ!と思ったり、
80年代終わり広告の勉強を始めたとき、
アメリカのDDBという広告代理店が60年代〜70年代に制作した
フォルクス・ワーゲンの広告に衝撃を受けたりした。
90年代始め、鈴鹿サーキットで見たF1のフェラーリ
フォルムと色にはマジで惚れたし、そのエンジン音には音楽を感じた。
シューマッハが乗るようになってから、
 車体のカラーが朱色っぽいレッドになってキライになった)


楽家たちが乗るクルマにも興味を持った。
(以下はすべて私の記憶。間違いも多分にあると思われます)


80年代半ばから自動車評論家としても活動を始められ、
複数台を所有する松任谷正隆氏はひとまず置いておいて…。


細野晴臣氏は80年代後半ルノーのオーナーだったと思う。
当時の雑誌『NAVI』で読んだ。ホソノさんの自動車遍歴と
音楽遍歴と重ね合わせて記事になっていた。秀逸! あの記事を
切り抜いておかなかったことを今しきりに後悔している。


ユキヒロ氏は、YMO全盛時の映像で、たしかミニ・クーパ(だったはず)
それもブリティッシュ・グリーンのものをカッコよく運転していたのを
記憶している。教授は…、不思議とクルマにまつわる記憶がない。


矢野顕子さんは、米国に移住された80年代後半。
VOLVO240(だったと思う)を購入され、これを運転して
郊外のご自宅からNYのスタジオまでレコーディングに通う映像を
見た覚えがある。
大貫妙子さんは、80年代後半プジョー205(だったはず)で
葉山のご自宅から都心での仕事に通われていたはず。
吉田美奈子さんは、現在もたしかルノー・オーナー。
山下達郎さんは90年代前半時点でたしかBMWに乗っていらしたと
記憶している。


あの人は○○に乗っている。
ということで、人は人を特徴づける。これがイヤで私は距離を置きたかった。
もちろん経済力の無さもあるのだが…。


あとは、00年代に生きる人間として、知らず知らず抱いている
エコロジー的観点。自分の趣味や好みで、石油を燃やして走っていいのか?
エゴイスティックじゃないか、そこに必需性がない限りと
やっぱりどうしても思ったりして、昨年フランクフルトのモーターショーを
見て、そんな思いが強くなって…。


あ、フランクフルト…、仕事で行かせていただきました。
クルマとは距離を置こうと思っていても、
生活の手段にはいつの間にかなっていました。