ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

夏草が揺れる滑走路〜Route 16ポップスその1〜

tinpan19732008-08-18

ふと思い立ったので、
国道16号線が日本のポップ・ミュージックに与えた影響
について、不定期で記していきたい。


きっかけは他愛もないことで。
先日の山陰への旅の帰り、米子空港から羽田行きの飛行機に乗った。
昼15時ぐらいの便で、私の席は窓際だったので、
外の風景がよく見えた。


米子空港のロケーションはとても素晴らしく、
左側、滑走路の向こうに中海が見えた。
右側には米子と境港を結ぶ国道とJR、そしてすぐ近くに日本海がある。


♪古い滑走路に、夏草だけ揺れてた〜
ふとそんなフレーズが頭をよぎり、
決して米子空港が古いとは思わなかったが、
羽田での離発着でもかなり端の滑走路が使われたし、
米子のホテルで朝「米子とソウルかプサンを結ぶ便が乗降客が少ない」
というニュースを見たり、実際に羽田への飛行機の定員も客数も少なかったり
して、何となくさびしさ・わびしさを感じたのだと思う。
滑走路の大きさも、空港というより基地のそれを思わせた。
夏草というか雑草が風に揺れるのが目撃できた。


この歌は何だっけ?
松任谷由実Laundry-Gateの想い出」だ。
1978年、松任谷姓になって初めてのアルバム『紅雀』収録。


Laundry-Gateというのは、立川基地にあった入口(門)の名前らしい。
二駅揺られてもまだ続くほど広大だった立川基地。
(今の昭和記念公園と思われる)
その基地に住む外国人少女と仲良くなった16歳ごろの日本人少女との
物語。ピザの作り方や男の子の扱いを、得意気に語る外国人少女。
ある日、少女は家族とともに日本を離れる。
帰国する朝、日本人少女は寝坊してしまった。
16歳のときその娘から貰った口紅をつけて見送りに来たのに、
すでに飛行機は飛び立った後で、滑走路には夏草が揺れていただけ。
借りたままだったジミヘンのレコードも返せなくなってしまった。
かといって手紙を書く柄でもないし…。


う〜ん。スバラシイ。これに、料理の仕方や恋の手ほどきまで教えてくれた
外国人少女が好きだった男の子と、この日本人少女がつき合ってしまった等の
エピソードが織り込まれれば、切ない青春映画が出来上がるような、
そんな濃密な物語だ。4分半の壮大な物語。
1980年『時のないホテル』収録の「セシルの週末」「5cmの向う岸」
にしてもそうだが(タイトルからして映画みたいだ)、
4分半のポップスの中で展開される濃密なストーリー、
その情報の多さと内容の深さには圧倒される。
並みの作家だと200ページは必要なストーリーが、
ユーミンだと4分半・1,000文字程度で描き切ってしまうような、
そんな気がする。


この「Laundry-Gateの想い出」(1978年『紅雀』)
つづいて「キャサリン」(1978年『流線形80』)
そして「りんごの匂いと風の国」(1979年『OLIVE』)と、
70年代後半、ユーミンは基地の匂いのする楽曲を数作残している。


八王子に生まれ、立川や横田や福生のベース(基地)に住む人々と
交流のあった多感な少女だったユーミンの体験が何らかのかたちで
消化され作品化されているに違いない。


というわけでまず今日は、
八王子、そして国道16号線沿線に存在した米軍基地が、
日本を代表するソングライター松任谷由実の作品に与えた影響について。