ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

満員電車のデッドヒートとPupaの思春期。

tinpan19732008-07-17

オフィス移転に伴い、首都圏有数の混雑ぶりを誇る
私鉄を通勤で使うようになった。
朝など急行電車に乗ると足の置き場に困ることもある。


先日、ラッシュから少しだけ遅い時間に、
いつもの駅で乗り換えて都心に向かうホームに向かうと、
ちょうど急行電車が止まっている。この時間でも混んでいる。
いつもなら一本見送るのだが、その日は急いでいたこともあり、
その電車に飛び乗った…
つもりなのだが、ウン? 乗ることができない。


出入り口付近にいる人が、こちらが乗ろうとしても動いてくれないのだ。
少し位置を変えて何とか体を電車に押し込んだ。
時間調整なのか発車まで多少の時間があった。
僕が何とか乗り込んだドアに、その後何人か押し寄せる。


出口付近に陣取った例の人は、相変わらずドア近くに陣取って
一歩も動こうとしない。あきらめて別の車両に移った人もいれば、
僕のように少し位置を変えて乗り込んだ人もいる。


RRRRRR〜
発車のベルが鳴る。ギリギリで乗り込んで来る人がいる。
例の人は相変わらずテコでも動かない。
乗り込んで来る人は、無理やり体を押し込む。
抵抗する例の人。力と力がせめぎ合っている。
ドアが閉まる。乗り込もうとした人は電車内へ。例の人は、中へ押し込まれる。
死守したいドア近くの位置を明け渡さざるを得なかった。
その後ろ姿から、不快感と敗北感が漂っていた。


例の人を、凝視してみる。
若い。学生もしくは社会人、20代前半25歳ぐらいまでの男性だ。
流行の無造作気味のヘア・スタイルに、今風のタイトな黒いシャツを着ている。
閉まった電車のドアに自らを映して、イケているか
絶えずチェックしつづけなければならないのだろうか?
その位置をKeepしつづけたかったら、
乗り込もうという人が来るたび外に出るという発想は浮かばなかったのだろうか?


凝り固まってしまった価値観。それは普遍性も一般性も持ち得ず…。
若さのもつ未熟さ。幼さ。至らなさ。
キミの世界はそんなに小さいのか?
何年か前の自分を見ているようでツラくなった。目を逸らし、新聞か本でも読もうと
思ったが、満員電車で身動きがとれない。


耳から聞こえるiPodに注力する。
Pupaが流れている。
アルバムの2曲目だ。無性にそのシチュエーションに合っている気がする。
「Creaks」という曲名らしい。
後で辞書を引いてみた。「きしみ、ギシギシという音」という意味らしい。


例の人の歌のように聴こえる。
思春期以降コツコツと築き上げてきたのであろう自我が
ギシギシと音を立てて崩壊していく。
歌詞カードを全く読んでいないが、そんな歌のように聴こえる。
「近頃、思春期なもので」。
そんなキャッチ・コピーが、CDの帯に書かれたいたせいだろうか?


多少のキモチ悪さも感じるが、
大人の思春期・永遠の思春期・第二の思春期、
その辺りを想定したアルバムなのかも知れない。
アルバム全体から漂う浮遊感から、そう思った。