ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

四行絶句 〜若宮大路は、時間と感情の迷路〜

tinpan19732008-07-11

週半ば、午後5時前に鎌倉駅に降り立つ。
ウィークデイに会社を早退したため、
駅に着きケータイでMailをチェックし、
いくつか電話をする。


近くで女性が電話をしている。
「別れるにしても、別れ方というものがあるでしょ」
スゴイ言葉が聞こえて来て驚く。
知らず知らずのうちに聞き耳が立つ。


カフェに行き書き物をして、ネクタイを締めるため、
もう一度先程の場所へ戻る。女性はまだ電話している。
「そんなこと言って…、勝手すぎる!」
思わずジロリ見つめてしまう。目が合ってしまった。


女性は場所を移動する。受話器を耳にあてながら。
可哀そうに。公衆電話ボックスが無くなった時代、
携帯電話ボックスがあればいいのに。
駅や繁華街などでは特に。


「いつでも、どこでも」コミュニケートできるということは、
僕たちに、自由と不自由を同時に与える。
時間や場所が、とても大切。
マナーやセンスや美学や美徳が、これまで以上に求められる。


約4時間後、駅へ戻る。学生時代の仲間5人がいっしょだ。
黒い服、黒いネクタイ。外も暗い。
このまま若宮大路を駅へ向かわず、海に向かおうかと
ほろ酔い気分で誰かがつぶやく。


由比ガ浜を、ホイチョイ映画『波の数だけ抱きしめて』の
オープニング&エンディング・シーンのように皆で歩こうか。
あのシーンは結婚式の後。今日の僕たちは180°違う式の後。
あの映画、どうして原田知世さんでなく中山美穂さんが主演だったんだ。


♪〜
山下達郎さんの一人多重コーラスによるイントロが聴こえてくる。
松任谷由実「真冬のサーファー」(1978年『流線形80』収録)。
あの映画のエンディングにも使われた曲だ。


今から見れば夢のようなコラボレーションが、
70年代末まではまだ日常的に行われていた。
黒い服を着た僕たちのコラボレーションも、
00年代になるとあまり日常的じゃなくなった。


鎌倉駅から電車に乗り、横浜で乗り換える。
横浜で降りたもう一人と、駅近くのバーで飲む。
久々のコラボレーション。あっという間に、あの頃へ。
近くに住む友人を呼び出そう…として、次の日の朝を思い止める。


あの人をあの世へ見送り、
想い出の地や道を、想いを共にした仲間たちと歩く・訪ねる。
懐かしい映像や音楽が頭をよぎり、かといえば思い切り現実的な
男と女の別れ話や、仕事の修正指示が、モバイルを通じて紛れ込んでくる。


いろんな時が交錯して、時間の迷路に入り込んでしまったような、
悲しさや哀しさ、懐かしさや慌しさが交錯して、
自分で自分の感情がわからなくなるような、
不思議な七月のウィークデイの夜だった。