ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

コクーンが揺れる6月。

tinpan19732008-06-28

金曜日、渋谷・コクーン歌舞伎
「夏祭浪花鑑」へ。


歌舞伎を観るのは生涯三度目だが、
今回は過去二度とは比べものにならないほど
感動した。最後、ジ~ンとして涙が出るほどだった。


演目がわかり易いのが大きいのだろう。
演出がコクーン歌舞伎ということで、通常のものより派手だったり
奇抜だったりすることも大きいのだろう。
この演目で海外公演もしてきたとのことで、
青い眼の人たちにもわかり易いジャパニズムが充満していて、
歌舞伎初心者の私にもハードルが低かった。世界に引き込まれた。


歌舞伎でなく単純に劇場パフォーマンスとして観ても、
串田和美さんの演出、中村勘三郎さんの演技は、
素晴らしいと思った。華があると思った。
芝居やオペラやクラシックのコンサートは、
エンディングの拍手をする時間が長過ぎて、
「これで興ざめするよな」と思うことが多かったが、
昨日は違った。周囲の誰よりも大きな拍手を長く続けた。


太鼓や鐘といった和楽器の音、
正直今までこれらの音をいいなと感じたことはなかった。
日本人ゆえ小さなころからお祭り等で耳にしたし、
矢野顕子さんのデビュー・アルバム『Japanese Girl』にも、
細野晴臣さんや坂本龍一さんの音楽にも和楽器は時々使われていたが、
主流=メジャーに対するアンチテーゼというか、
ロックやポップスを日本人がやる上での手法としての意味合いや価値は
感じても、音そのものに心が揺さぶられることはなかった。
しかし、昨夜は違った。ドンドンドンと響く太鼓の音に、
ピ〜ヒャラと鳴る鐘の音に、心が震えた。


視覚と聴覚が大いに刺激されたファンタジー、スペクタクルだった。
ステージには池のようなものも登場し、
昨年の松任谷由実『シャングリラ3』のようだった。
いや、わかり易く・とっつきやすいスペクタルという意味では、
ユーミンが派手なステージを始めたころ、
1979年から81年の伊集院静氏演出のコンサートのようだった。


伊集院演出、私は81年『水の中のASIAへ』ツアーしか観たことがないのだが、
観客席から本人が登場して、ステージで歌う偽ユーミンと入れ替わったり、
大きな龍=ドラゴンが登場したり…、客席や大道具の使い方が
そういえば今日の歌舞伎とかなり似ているなと思った。


『水の中のASIAへ』ツアー、そういえば初めて観た
ユーミンのコンサートだった。27年前、高校3年生という時間には
もう驚かないが、あのコンサートを観たのも6月か7月の梅雨の時期だった。
私は梅雨時に感情線が揺れることが多い。
それまでの自分自身のコクーン
(本来は「繭」の意だが、ここでは「殻」の意で使いたい)
(Bunakamuraシアター・コクーンができた80年代末から90年代始め、
 「コクーン」という言葉は時代のキーワードだったと思う。
 快適ではあるけれど、外に対して閉じているような意味もあった
 「オタク」=自分の“コクーン”に閉じこもる人たちというような使われ方)
を打ち破る忘れらないLiveや出来事とは、この時期に出会うことが多いようだ。
誕生日周辺ということも、きっと大きいのだろう。