ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

「イマイチ」と「よかった」のあいだで。

tinpan19732008-06-22

土曜日、目黒ブルース・アレイでの
吉田美奈子×河合代介Liveへ。


昨年12月(からだったはず)から、
この会場、この編成で、3ヶ月に一度Liveをやる
と宣言され、3月そして6月と足を運んだ。


それ以前にも、横浜モーション・ブルーや池上本門寺
この目黒でも二〜三回河合さんとのデュオを拝聴している。
正直、少々のマンネリズムを感じているのは事実だ。
しかし、美奈子さんのLiveでマンネリズムを感じること自体が新鮮で、
今はその気持ちを楽しむことにしている。
というのも90年代Liveの絶対数が少なく、Liveがあると知れば
仕事も何も放り出して駆けつけないと次にいつ聴けるかわからなかった。
あの時代に比べると今は何と幸福なことだろう。


マンネリズムを感じる理由?
それはハモンドとのデュオという編成によるアレンジの限界と、
楽曲のヴァリエーション。


今回、久々に「MIRAGE」(1980年『MONOCHROME』収録)を聴くことが
でき嬉しかったけれど、あのアレンジで聴くと私には響かない。
同じことを、今回演奏してくれた「Coco」(1995年『Extreme Beauty』)にも、
前回か前々回演奏してくれた「GRACES」(1996年『KEY』)にも感じた。


次に楽曲のヴァリエーション。
今回、曲間のMCで1980年冬のニューヨークの話になった。
とにかく寒さが厳しいのだけれど味わいがあって、
道路から湯気がスチームのように(地下鉄や地下街の通気口があるから?)
舞い上がる様子などそれはそれは美しい
というお話をされて、そうなると、次の曲は
「やった『Back in Town』だ!」と一人盛り上がっていたのだけれど、
「愛があたためる」(2003年『REVELATION』)だった。


「Back in Town」、1981年『Monsters in Town』収録。
80年代頭に、日本で、これだけのファンク・アルバムを作り上げた
という事実は、ニッポンの音楽界にとって後世に語り継がれられる
功績であるはずだ。そのアルバムの最後を飾るバラード。サビ直前に
♪凍りかけた舗道からは高く舞い上がる湯気が白く見えて〜
という詩がある。その曲を久々に聴けると思っていたがひとり合点だった。


休憩前、一部最後の曲は「雲の魚」(2003年『REVELATION』)だった。
ここ数年「雲の魚」を演奏しすぎではないか?
バンドでも、倉田さんのピアノとのデュオでも、倉田さん・河合さんとの
トリオ「Cube」でも、聴いた覚えがある。頻度が高い。
「『雲の魚』はもういい」。
そう言って美奈子さんLiveに最近来なくなった人間が、私の周囲にいる。


「愛があたためる」「雲の魚」。共通するのは同じアルバムに収録されている
ことと、美奈子さん以外の人が作曲していること。
私は、本人作曲以外は認めないなどというイデオロギーは持ち得ていないが、
この二曲にそれほど愛着を感じない。
アルバム『REVELATION』自体への愛着がイマイチなのかも知れない。
「愛があたためる」はメロディーが甘過ぎる気がする。
「雲の魚」はマグリットの絵のようなシュール・レアリスムな詩と、
フランスを感じさせるメロディーがいいと思うけれどあくまで“変化球”
であって、Liveの定番曲になり得る楽曲とは私の中で思えない。


今日は、ちょっとネガティブともとれる書き込みとなってしまったが、
これも私の一部。そういつも「よかった」と思えるLiveはあり得ないし、
自分のBlogに、自分の気持ちを正直に書き綴らなくてどうすると思い、
記してみた。ご意見等ございましたら何なりと。


Live終盤、河合代介さんのソロが「よかった」。
1曲目「Caravan」、デューク・エリントンの名曲。
途中から美奈子さんのヴォーカルが加わらないかなと思った。
というのも、1989年12月Bunkamuraオーチャード・ホールでの
渡辺香津美さんのコンサートに、美奈子さんがゲスト出演され、
この「Caravan」を歌われたのだ。この音源は香津美さんの1991年のアルバム
『Romanesque』に収録された。
この1989年には細野晴臣さんも久々のソロ・アルバム
『オムニ・サイトシーイング』を発売し、このアルバムにも
「Caravan」が収録されていた。そういえば。


つづく2曲目は、「暑いから…」(河合氏のMC)、
「Summer Time」。ガーシュウィンが作ったこの曲が聴けるオペラを、
そういえば1988年か89年、Bunkamuraに観に行くはずだった。
行けなかったのは平日開催で、前日の書き込みにあるような
仕事がトラブったのが理由だったと思う。