ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

モラトリアムでプレッピーなAOR。

tinpan19732008-05-16

また何かと忙しくなってきた。
朝、出掛けにiPodの曲を選ぶのも
機械的になってきて、アルバム単位それも
アーティスト順ABCのABあたりから
選ぶことが多くなった。


先日だとBee Gees。
「First of May」(邦題はたしか「若葉のころ」)が五月っぽくて
いいなと思ったけれど、アルバムを通して聴いてみると
「How Deep is Your Love」(邦題はたしか「愛はきらめきの中に」)
のほうが、五月の乾いた晴れの日に似合うなと思った。


今日はAir Playを聴いてきた。
ジェイ・グレイドン(ギター)とデヴィッド・フォスター(キーボード)に
よるユニット。ユニット名と同タイトルのアルバムが出たのが、
たしか1980年。アメリカ、西海岸、AOR…。
TOTOAir Playサウンドと呼ばれたこの人たちの音楽を聴いて、
当時「80年代が始まった!」という気持ちになったものだ。


初めて聴いたのは、1981年、高校三年生になった4月か5月の
今日のような晴れて湿度の低い日だったと思う。
爽やかでキャッチーで耳障りのいい音が心地良かった。
久しぶりに今日聴く気になったのは、きっと初聴の日の気候を
DNAが記憶していたからだろう。
3曲目「IT Will Be Alright」あたりを聴くと、あの頃の、
進路選択で先が全く見えなかった自分が甦る。
この年齢になっても先が見えない状況はいっしょだと、
ちょっと情けなく感じたりする。


9曲目「She Waits For Me」は、
当時の大ベストセラー『なんとなく、クリスタル』(田中康夫著)の
文中にも取り上げられていたはず。
神宮前のマンションで、朝目覚めた主人公が
ラジオを付けるとFENから流れてくるナンバー。
1曲目がポール・デイビス「I Go Crazy」で、
その後の何曲目かだったはず。


小此木啓吾氏の『モラトリアム人間の時代』がやはりベストセラー
だった時代で、決定や責任を先延ばしする“モラトリアム人間”が、
時代の象徴にように扱われていた。
田中康夫氏は当時「日本という国自体がアメリカの庇護のもと
のほほんとしている“モラトリアム国家”」と雑誌や著書でよく記されていた。


いつまでも先の見えない状況がつづく自分は、
きっと80年代を10代後半から20代後半という年齢で過ごしたせいだと
思うことにした。


ところで、80年代がファッションの世界で本格的にリバイバルしている
らしいですね。先日ある雑誌を眺めていて、
「80年代初めのプレッピーみたいだな…」と思ったら、
「プレッピー」という言葉そのものもリバイバルしているようだ。


今日、ファッション誌の編集をしている友人と久々に会う。
“80年代談義”でも繰り広げてみるか。