ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

カイエの追憶。

tinpan19732008-01-28

大貫妙子1984年の映像作品『カイエ』が
DVD化された。細野晴臣トリビュート2や
『イエロー・マジック・ショー』とともにamazonに注文した。
先週中にすべて届いたので、週末に鑑賞した。


アルバムでなく、映像作品の『カイエ』は、
実はじっくり観た記憶がない。この1984年当時、
ビデオデッキの家庭普及率はたぶん50%以下。
都内にレンタル・ビデオ店が勃興しだすのは、
1985年秋のプラザ合意以降と記憶している。


どこかショールームのようなところで(どこか思い出せない)、
レーザーディスクで一度頭から見たのが、
私の『カイエ』体験のほとんどすべてだ。


この『カイエ』、制作スタッフがスゴイ。
アート・ディレクターは戸田正寿氏。
映像スタッフが関谷宗介氏、群家淳氏という当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった
CM制作会社マザースの面々。電通杉山恒太郎氏もクレジットされている。
80年代始めの広告が元気よかった時代の、元気いっぱいの方々が
制作に携われている。
当時広告好きなミーハー大学生だった私は、あるミニコミ誌の取材と称して、
郡家氏にお話を伺いに行き、大貫さんのこの映像作品を手掛けるという
情報を知ったのだった。


1984年というのは、ビデオ・クリップ(VP)が注目された時代だと思う。
あのマイケル・ジャクソン「スリラー」のVPが、TVで流れまくったのが、
83年末から84年はじめ。日本のミュージシャンたちも、映像に関して、
独自のアプローチを始めた。


大貫さんは、日本の広告界の有能人材を総動員して『カイエ』。
松任谷由実さんは、ピンク・フロイド等のジャケットでおなじみの
ヒプノシス(この頃はもうグリーン・バック・フィルムと言っていた)
にアート・ディレクションと撮影を委ね『コンパートメント』を発売。
単純な米国MTV方式の模倣でない、独自のクリエイティブを追求した。


久々に『カイエ』を観て、曲名を表記する書体が手書きで
それがものすごく味があると思った。21世紀の現在の目で眺めると
ちょっと違和感があるけれど、逆にそれがヨーロッパを表現した
日本人の作品として趣きあるエキゾティズムを醸していると思う。


この『カイエ』は、ジャケットのイラストレーションも
私にとって80年代半ば、1984年の象徴である。
当時、友人が恵比寿に住んでいて、そのマンションに、
この『カイエ』のポスターが貼ってあった。


その友人は、今や新聞に毎日株価が表示される会社社長。
その友人と、当時のマンションのほど近くの店で飲むのが、
今週末だ。そういえば。DVD『カイエ』を持って行ってあげようかな。