ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

石油が、1974年みたいになってきた。

tinpan19732008-01-16

先日、久々にパスタを食べようと
スーパー・マーケットの売場をのぞいたところ…。
高い! パスタがことごとく値上がりしている。


石油が値上がりして、ガソリンからカップ麺まで、
ことごとく影響を受けているようだ。
私が仕事で関係する分野では、紙(印刷用紙)が値上がりした。


私は1963年生まれなので、第一次と第二次のオイル・ショックを
記憶している。あの第一次の1973年から74年にかけては…、
トイレット・ペーパーが無くなる等世の中の狂騒曲が
当時小学4年生だった私の心に直撃して、日々不安だった。
ユリ・ゲラーのスプーン曲げとか、紅茶キノコとか、
ノストラダムスの大予言とか日本沈没が流行したのもこの頃で、
“世紀末”感が世の中全体を覆っていたように思う。


なかでも、本屋で立ち読みした週刊誌の記事が、
私を打ちのめした。今は無き『週刊明星』か『週刊平凡』の記事で、
「石油が無くなり、レコードが作れなくなる!」
というような内容だったと思う。当時、私は歌謡曲が大好きだったのだが、
原料不足はレコード製造にも影響を及ぼし、
前年300組なりデビューした新人歌手が今年は激減するだろう
との記事を読んで、泣きそうになったのを覚えている。


しかし、時間が解決したのですね。
あれから幾度、景気のUP&DOWNが押し寄せただろう。
冷静に適度の距離を置いて経済に向き合えば、
私ごときの人間には大した影響がないと思えるようになった。


そうそう…。あの、第一次、二次のオイル・ショックの
前と後で、何が変わったかといえば…、
音楽が変わりました。日本のポップ・ミュージックが激変した
と思います。それは、好ましい変化だと思います。


はつぴぃえんど(はっぴいえんど)解散コンサートが、
1973年9月21日。同日、この日文京公会堂の同じステージに立った
吉田美奈子南佳孝がショーボート・レーベルからデビュー。
この数ヶ月後が荒井由実ひこうき雲』発売。
この頃のNo.1ヒットは、たしか南こうせつかぐや姫神田川」。


キャラメル・ママティン・パン・アレーの面々による
クリエイティビティあふれるサウンドが、メジャー・シーンで
騒がれ出すのが、第一次オイル・ショックがほぼ収束した1975年ごろ。
神田川」の世界は“四畳半フォーク”と表現され、
そのアンチテーゼとしてシーンに台頭してきた。


感覚的に、今のこの「石油がヤバイ!」感は、1974年に相当すると思う。
1974年、キャラメル・ママティン・パン・アレーと名称を変え、
シュガー・ベイブ吉田美奈子、鈴木(矢野)顕子ら錚々たる面々が
レコーディングに参加した荒井由実の2nd『ミスリム』が発売された年。
それから、松本隆・作詞、細野晴臣・作曲、矢野誠・編曲の
スリーディグリーズ「ミッドナイト・トレイン」発売もこの年。
フィリー・サウンドのご本家に逆提供したこの曲、
とにかく音が“まんまフィラデルフィア”で、細野さん、矢野さんの見識と、
ティン・パン・アレーの演奏力と表現力にただただ感服したものだ。


当時小学5年生だった私、
「ミッドナイト・トレイン」はオンタイムで聴いた覚えがあるけれど、
コンポーザーやアレンジャーやミュージシャンの情報を知り、
感服したのはそれから15年は経った80年代後半だったと思う。
そうだ。今日は久々に、「ミッドナイト・トレイン」でも聴いて帰ろう。