ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

画面でなく、出力でなく、活字で読むということ。

tinpan19732007-12-21

『レコード・コレクターズ』誌の田山三樹氏による連載
「アルファの宴〜YMOを世に出したレコード会社の興亡」が、
12/15売号にて最終回を迎えた。興味深い連載だった。


アルファ・レコードの革新さ・斬新さが、
関係者の証言により綴られていく。
今号で知ったこと、それは設立当初40歳定年制だったこと。
終身雇用型日本式経営が幅を利かせ、それこそ
ジャパン・アズ・ナンバーワン」幻想が世に出る直前に
この発想はさすがだと思う。


定年制こそ掲げなかったが、
多くの広告クリエイターが集い、腕を磨き、巣立っていった
1960年代・70年代の「日本デザイン・センター」。
さまざまな起業家を生み出した80年代・90年代の「リクルート」。
こういった企業と同種の匂いをアルファ・レコードに感じる。


遡れば、企業ではないけれど、
多くの維新の志士が学び巣立っていった幕末の松下村塾にも
同様のテイストを感じる。


前例のないこと、新しいことを生み出す気概・気運のようなものが、
あふれている場には、独特のパワーがあるに違いない。


知人に毎号読ませてもらっている山下達郎氏のファンクラブ会報誌。
こちらは今号の「ヒストリー・オブ・山下達郎」が、
いよいよソロ第一作『サーカス・タウン』の時期になった。
実に濃い内容。まだ海外レコーディングが一般的でない1976年、
実現に至るまでのストーリーが、
牧村憲一氏、石坂敬一氏、福岡風太氏、生田朗氏といった
スタッフとして日本のポップ・ミュージックの近代化に深く関わった方たちに
まつわるエピソードとともに、山下氏の口から興味深く語られている。


前号の寺尾次郎氏インタビューも面白かった。
大貫妙子さんのバックを辞めた日を境に、
全くベースを弾かなくなったという事実を知り、驚き、恐れ入ったものだ。


久々に音楽に関する活字をじっくり読んだ気がする。
Webで、モニター画面で(時に出力して)、音楽に関する情報を読むのと、
雑誌で、活字で、音楽に関する情報を読むのでは、
何かが決定的に違うと思った。


それが何なのか、うまく言葉にできないのだが。
そこに雑誌メディアの生き残る道があるような…。
折を見て考えてみたい。