ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

ユーミンの視点。

tinpan19732007-11-28

ここ数週間で最も聴いた曲は、
キャロル・キング「UP ON THE LOOF」。
武道館のLiveに行って以来、私のiPod
ヘビー・ローテーションを続けている。
この曲については、先日も記したけれど、
いろんなことを感じています。


この曲の影響かどうかわからないけれど、
さっきふと思ったのが、
荒井由実ひこうき雲』収録曲の視点の高さ。


♪屋根に上ると空は広いよ〜
と紙ヒコーキが空高く飛ぶ様を歌った「紙ヒコーキ」。
♪二階の窓を開け放したら〜
霧が部屋の中まで流れて来そうな日のことを歌った「曇り空」。
♪白い坂道が空まで続いていた〜
若くしてあの世へ旅立ったあの子の命を歌った「ひこうき雲」。


視線を上に、空を見上げている歌がいっぱいだ。
♪遠い波の彼方に〜
空と海が出会う水平線を遥かに見据えた「空と海の輝きに向けて」もそう。
このデビュー・アルバムで最もコマーシャリズムを意識した作品と
ご本人が語っていらした「返事はいらない」以外の曲は、皆どこかで
地上高くを見上た、見据えている印象。


インドの詩人・タゴールが好きで、
プロコムハルムのキース・リードのちょっと難解な詞が好きだった、
多感な少女・ユーミン
「永遠」という言葉の使い方が、当時のポップ・ミュージックの中で
とても新鮮だったと、私より10歳は年上の人がしみじみと言っていたっけ。


“聖なる憂鬱”が、アルバム全体を覆っている。
それは思春期を経験した人間なら誰もが心の中に持ち続けている
“永遠の思春期”を刺激するのだと思う。
だから、このアルバムは、飛び切りの切なさと儚さに満ち満ちている。


「紙ヒコーキ」のとりとめのない気ままさに、
どうしてこんなに惹かれてしまうのだろう?


「曇り空」の昨日は曇り空だったから外に出たくなかった
という気ままさに、共感を抱くのはなぜだろう?


ひこうき雲」は、刹那すぎる。果敢なすぎる。
「シャングリラ3」のオープニングは、「グレイス・スリックの肖像」
よりもこの曲のほうが相応しかったのでは…。


80年代になるとユーミンは、
ベッドの下に片方だけ落ちている「真珠のピアス」を歌にしたり、
視線は下へ下へと下がっていった。
“聖”から“俗”へ、などと記すのは簡単だけれど、そうじゃない。


80年代終わり近くのアルバム『ダイアモンドダストが消えぬまに』では、
足元にカメラが寄っていったと思うと、次の瞬間パンして別のシーンへ
というような、CMの絵コンテのような手法で詞を描いていた。


ズームしたり、ワイプしたり、
天空のきらめきも、地上のざわめきも、
リゾートもアーバンも、色恋も博愛も…。
自在のアングルで描いてしまう、独自の手法を確立していったのだと思う。