ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

リモコン・コロッケ・ヤノアキコ。

tinpan19732007-11-18

先週のある日、寒かったので
この冬初めてエアコンを入れようとした。
が、リモコンを操作してもエアコンは始動しない。
電池を換えてみた。しかし、相変わらず無反応。


製造メーカーのお客様相談センターに電話する。
マニュアル通りの応答。
古い機種なので買い換える際の商品番号と購入方法を聞く。
普通に電気店で買えるらしい。大手の家電チェーン店なら
在庫がありそうなので週末出かけよう。


土曜日、ふと思い立って、町の電気屋さんに寄ってみた。
リモコンを見せた。確認用のボードに向けて操作する。やはり無反応。
電気屋さんは、細いペン状の工具である部分を押した。
その部分は、リセット・ボタンらしい。リモコンにそんなボタンがあるのを
初めて知った。つづいて電池を外して、+と−が接する部分を軽く鉄で擦る。
「はい、直ったよ」。時間にして1分かからなかっと思う。
うれしかった。「ありがとうございます。おいくらですか?」
「いらないよ。そのために町の電気屋はあるんだから…」
そのプロフェッショナリズムに、その志に、感服した。涙が出そうになった。
御礼を言って、電池をいくつか買って店を出た。
(故障直後に電池を数個買ったので、当面使う予定はないけれど…)


私の家の近くには、昔ながらの商店街が、だいぶ規模を縮小しつつも、
微かに残っている。いちばんよく利用したのは、お肉屋さん。
ここで休みの日、揚げたてのコロッケをよく買ったものだ。
馴染みになると、わざわざ揚げたてを用意してくれたりした。
ラードで揚げたコロッケを熱々のまま食べる。
私が、幸せを感じる瞬間のひとつだ。
そのお肉屋さんは、某大手スーパーがすぐ近くにできたせいか、
昨年、店を閉じられた。


お肉屋さんがあった場所を通りがかる。
♪ごはんができたよ〜
矢野顕子「ごはんができたよ」が、頭の中で鳴り出す。


この曲がオンタイムだった1980年ごろ、
決してこの曲が好きではなかった。
YMO一派の人で、音楽の才能はめちゃくちゃある人だと思ったけれど、
『ごはんができたよ』『ただいま。』の頃の、主に糸井重里氏の詞による
“ニッポンのおかあさん”路線には、どうも馴染めなかった。


音は、テクノ・ポップという80年代の最も先鋭的なサウンド
でも詞は、70年代の四畳半フォークと大差ないじゃん。
そんなふうに思っていた。西海岸のAORや、ユーミンの詞のほうが、
都会的でお洒落に感じられ好きだった。


80年代後半になってからだ。
矢野顕子さんの詞世界への抵抗が薄れたのは。
「ひとつだけ」というスバラシイ曲が、
「ごはんができたよ」と同じアルバムに収録されていることを知った。
「GREENFIELDS」にも出会った。


「ごはんができたよ」(1980年『ごはんができたよ』)
「ラーメンたべたい」(1984年『オーエス オーエス』)
は、今だに“作られた庶民性”のようなものを感じてあまり好きではないが、
「HOME SWEET HOME」(1986年『峠のわか家』)
「また会おね」(1980年『ごはんができたよ』)
は、グッと来る。
「ひとつだけ」(1980年『ごはんができたよ』)
「GREENFIELDS」(1984年『オーエス オーエス』)
と併せて、“普遍的な人間愛”が歌われていると思う。大好きだ。


クリスマスだお正月だと、家庭や家族を意識する季節になると、
矢野顕子が流れ出す。私の頭の中に。


そういえば、今年は、久々に生・矢野顕子を聴きに行くんだ。
12月に、レイ・ハラカミ氏との共演を。