ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

四半世紀の感傷と半歩先のドラマ。

tinpan19732007-09-02

ティン・パン・アレーを訪ねて〕第13回


千駄ヶ谷にある小籠包が有名な中華料理店で
夕食をとることになった。
JR代々木駅から歩いて行くことにした。
駅を降り、狭い道を明治通りに向かい歩く。
この道は、いつか来た道。


1982年、浪人生として、予備校に通うため、
毎日のように通った道だ。
“夜風が涼しくなるころ”、松任谷由実「ようこそ輝く時間へ」を
聴きながら歩く。


ちょうど、この道を毎朝歩くようになってすぐ、
82年6月発売のアルバム『PEARL PIERCE』の一曲目。
“大人になったら宿題は無くなるものだと思っていた”
“行かないで夏休み”
時期的にもぴったりの曲だ。
先日観た「シャングリラ?」でも効果的に演出され歌われた楽曲だ。


界隈は、当然の如く変化していた。
明治通りに地下鉄が走るのは、いよいよ来年か?
ただ、道に漂う空気のようなものは変わっていないと思った。
明治神宮新宿御苑、都内でも有数の二つの緑地に挟まれたエリア。
明治通りや首都高の排気ガスも当然凄いけれど、
風にどこかフィトンチットを感じるというか、
鼻がツーンとする気がするのは、
僕が10代最後の一年を過ごした地というだけではないと思う。


料理は美味かった。
小籠包、5年ほど前台湾に行ったとき、
現地の美味しい店に連れて行ってもらい、
それ以来一時期ハマった時期があったっけ。
久々に食べたけど、この店では初めてだったけれど、
美味かった。アジアの包む文化の偉大さを再確認した(なんて)。


「○○さん(僕のことだ)は、グルメだから…」。
時々こんなことを言われる。そのたびに、不快、不愉快になる。
「グルメ」という言葉の響きも使われ出した時代背景も大キライだ。
他の言葉で表現してほしい。
食に関する好奇心はある。
でも、それは誰もが持つものであって、
いや、「食欲」として人間の本能として備わっているものであって、
どうせなら、それを身の丈にあった選択肢で満たしたいと思っているだけだ。
身の程知らずの贅沢をしようなんて思わないし、できるわけもない。


身の丈、いや半歩先。
この『PEARL PIERCE』が発売されたころのユーミンは、
18〜25歳のターゲット層に、ちょっと背伸びすれば手が届く
“ちょうどいい”贅沢やゴージャスな詞の世界を提供していた。
その距離感が絶妙だった。


いや、しかし、それは、詞そのものよりも、
メディアを通じての発言や、
プロモーション時の本人による楽曲解説においてだったりする。
80年代に入ると、詞に固有名詞が入ることは珍しくなったし、
時代に左右されない普遍的な切なさや儚さを歌いつづけたと思う。
強いて挙げれば80年代は、詞の状況設定を追求した時代だったのではないか。
このアルバムのタイトル・チューン「真珠のピアス」の、
彼のベッドの下にパールのピアスを片方投げ捨てるように、
「シチュエーションにドラマがある」
そんなシーンの数々を楽曲化していったのではないだろうか。


そういえば、今年の夏前。冷蔵庫を買い換えた。
14年ぶりに古い冷蔵庫を動かすと…、
埃にまみれて真珠の玉がひとつ、転がっていた。
ピアス? ネックレス?
なるほど。ふ〜ん。そうだったわけね。