ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

阿久悠さんトリビュートPart 2

tinpan19732007-08-23

この時期、同じテレビを舞台に
曲でなくドラマのヒットを連発した演出家に
故・久世光彦さんがいらしたが、
あの方の作品には” 適度の湿度””引算の美学”を感じる。
(と以前に記した気がする)


久世さんは作詞家としても「小谷夏」というペンネームで、
天地真理「ひとりじゃないの」等を手掛けられている。


久世さんが演出されたTBS金曜ドラマ悪魔のようなあいつ」は
主演・沢田研二。ジュリーはこの番組の主題歌も歌いその作品
「時の過ぎゆくままに」が阿久悠・作詞。
久世さんmeets阿久さんのこのドラマは素晴らしかった。
阿久さんのジュリーへの詞提供は、この曲が初めてではなかったろうか?


話が横道に逸れそうなので修正しよう。
ニッポンの芸能で、「メジャーになる」ということはイコール
「ダサイ」ことなのだと思う。湿っぽくなることなんだと思う。


ニッポンの演歌のルーツは、大方が大陸〜朝鮮半島を経由したもので、
「ボクはそれには反応しない。沖縄経由の南方を伝播してきた
 音楽は別だけど…」とおっしゃったのはたしか細野晴臣氏のはず。
(出典忘れました。こんど探します)


ウォークマンが発売された79年の暮れ、
ジュリーはついにパラシュートを背負って「TOKIO」と歌った。
詞は阿久さんでなく、気鋭のコピーライター糸井重里氏だった。
YMOがブームになった。
雑誌『ビックリハウス』『スタジオボイス』を巻き込んた
カルチャー現象となった。


80年には山下達郎さん「RIDE ON TIME」が、
81年には大滝詠一さん「A LONG VACATION」が、
そしてユーミンも「守ってあげたい」で第二次ブームを迎えた。
タツロー、ロンバケユーミンの80年代のブレイクに、
カーステレオが果たした役割は大きいと思う。
音楽は外で聴く、持ち出す時代になったのだ。


達郎作品、大滝作品の、吉田保氏ミックスによる
あの乾いたエコーはどうだ。
湿り気とは無縁。あれこそ、80年代が始まった音…。


革命や劇的な変化には、わかりやすい新旧の対立概念が必要だ。
YMOにナイアガラにティン・パンに
夢中になった10代後半の私には、
70年代的歌謡曲の世界は絶対的なアンチテーゼとなった。
阿久さんはその象徴だった。


ただ、誰よりも多くの人の気に晒された人だったと思う。
70年代に阿久さんが果たした役割は、
80年代は松本隆さんが務めたように感じる。
多くの枚数を売り上げるということは、
多くの人びとの思いを受け止めるということは、
想像以上の精神的消耗を強いられるはずだ。


阿久さんも、松本さんも、その後空白の時期がある。
そうしなければならなかったのだろう。


大衆と対峙した。
その経験がある人はスゴイ。エライ。
端から何を言っても始まらない。


昨年末、生まれて初めて淡路島を訪れた。
阿久さんのご存命中に、阿久さんのご出身地の土が踏めて、
今となっては良かったと思う。


あの世でも、最大多数の最大幸福のための
エポック・メイキングでコンセプチュアルな仕掛けを、
これでもかと手掛けてください。


元広告マンの偉大なる作詞家へ、
今も広告の世界に片足突っ込んでいる者より。