ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

阿久悠さんトリビュートPart 1

tinpan19732007-08-22

ちょうどお盆が過ぎたばかりなので、
阿久悠さんについて記しておきたい。


“昭和を代表する〜”という形容を何度か耳にしたが、
実は作詞家として活躍した期間自体はそれほど長くないのでは?
というのが私の印象(密度は濃かったけれど)。


1968年モップスに提供した作品が作詞家デビュー
1971年日本歌謡大賞レコード大賞また逢う日まで
1976年日本歌謡大賞レコード大賞「北の宿から」
1977年日本歌謡大賞レコード大賞勝手にしやがれ
そして、桜田淳子岩崎宏美、ピンクレディの主要曲のほとんどを
手がけるなど、70年代歌謡シーンを代表する作詞家であったと思う。


1963年生まれの私にとって、
70年代は小学校入学から高校入学までの時期にあたり、
謡曲は身近な存在だったが、阿久作品はあまりにメジャーすぎて、
かえって愛着を感じなかった。
山上路夫さん、安井かずみさん、有馬三恵子さんの作品のほうが好きだった
と今思う。


桜田淳子さんの主要曲が阿久作品でなかったら、後年の評価が
山口百恵さんに匹敵するものだったのではないか?


「北の宿から」はカンベンだった。
津軽海峡冬景色」もゴメンナサイだった。
「雨の慕情」もどこがいいかわからなかった。


ピンクレディは曲ごとのテーマ設定が秀逸だと今なら思えるけれど、
詞そのものにグッと来た言葉やフレーズはほとんどない。


岩崎宏美さんの作品も詞より曲、筒美京平さんが展開した
フィラデルフィア・ソウルの世界に魅せられたのだと思う。


ただ、ジュリー、沢田研二さんの
勝手にしやがれ」から「カサブランカ・ダンディ」に至るまでの
作品はスゴイと正直思う。
安井かずみさんの「危険なふたり」から「追憶」あたりまでの
詞のほうが個人的には好きだけれど、世の中へのインパクトという点で、
勝手にしやがれ」のゴダールの映画名を借用したタイトル・センスと、
その詞世界の気障っぽさ、
「憎みきれないろくでなし」で気障っぽさに磨きがかかり、
「サムライ」「ダーリング」へとエスカレート。衣装やメイクまで含めた
トータルでのキャラクター設定は、ウィスキーを口に含み吐き出す
カサブランカ・ダンディ」でひとつの頂点を迎えると思う。
テレビ黄金期ならではの発想であり方法論。


1979年になると、Sonyウォークマンが発売。
カーステレオのメディアとしてカセットテープが主流となったのも
この頃だと思う。これ以降、音楽は
酒場の有線放送から流れる流行歌じゃなくなった。
テレビの歌謡番組で見て聞いて楽しむキラー・コンテンツでもなくなった。
マス・プロダクツからどんどんパーソナルなものへと変化していった。


80年代を迎え、私は10代後半。
時代ゆえ年齢ゆえ、価値観がガラリ変わっていった。
湿ったものが大キライになった。
小説も、音楽も、映画も…、当時メジャーだった多くの作品は、
湿度がトゥー・マッチ、適度でなく過度に感じた。
阿久作品はその代名詞のように感じた。


〜つづく〜