ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

音羽のユーウツ。

tinpan19732007-05-25

ティン・パン・アレーを訪ねて〕第12回


YMO『BGM』は、LDKスタジオで録音された
と思って、ちょっとWebで調べてみたら、
違っていた。LDKスタジオは、
YENレーベルの専用スタジオだから
1982年だ。誕生したのは。


最近家のPCから書き込みができなくなり、
出先でそのまま書くことが多く、
資料が手元になく、確認作業が滞り、
事実関係の誤りが出てしまうことがある。
そんなときは皆さんご遠慮なくご指摘ください。


そうそう。LDKスタジオ。
文京区音羽にあった。
YENレーベルが消滅してからも、スタジオは残っていた。
看板だけなのかも知れないが、1990年の春に私は目撃して
嬉しくなった覚えがある。


営団地下鉄(今の東京メトロ江戸川橋駅を出て、
音羽通りをちょっと歩いて右に入ったところ。
この界隈には、あまり思い出したくない記憶が漂っている。


その1(1988-89年ごろ)、
この江戸川橋駅を通勤に使っていたことがある。
1年半ほど。第二新卒として働き出した会社がこの近くにあった。
現実と理想がぜんぜん折り合わず、
何をやったらいいのかわからず、でも働いて生活しなくちゃ
と思いながら、大貫妙子『プリッシマ』、山下達郎『僕の中の少年』
などを聴きながら、この駅を乗降していた日々。


その2(1990年ごろ)、
その会社を辞めてプー太郎をしていたころ、
出版社に勤める友人が気にかけてくれて何度がアルバイトに通った。
LDKスタジオの看板を発見してうれしかった。
けれど、現実の自分は無性にかなしかった。
ようやくカセット音源で入手した吉田美奈子『BELLS』に癒された日々。


その3(1993〜4年ごろ)、
そしてコピーライターになって3〜4年ほどして、
月に一度この界隈に仕事で通うようになった。
仕事内容が全く自分の興味外で、でもこれも良いステップと思い、
自らを奮い立たせ、細野晴臣メディスン・インスピレーション』を
聴きながら歩いた日々。
吉田美奈子さんのシングル「声を聞かせて」は、仕事帰り、
この江戸川橋レコード屋で購入したんだ。そういえば。


ユーミンの独身最後のシングル「翳りゆく部屋」、
パイプ・オルガンとコーラスが印象的なイントロだが、
そのオルガンは、この近く目白のカテドラル教会で松任谷正隆氏が弾き、
ハイ・ファイ・セット山下達郎吉田美奈子の荘厳なコーラスも
教会で同時に録ったというエピソードを知って、気持ち良くなったのもたしかこの頃。


初めてこの界隈を訪れたのは、
1984年だった。たしか。大学2年生。
当時、田中康夫氏と泉麻人氏の共著『大学解体新書』が話題となっていて、
どうせなら現役大学生の目でその手の本を作ろうという動きがあって、
“どうせユーミン自民党が勝つ世の中だから…”
と、泉麻人氏が当時雑誌『POPEYE』に書かれていた文にインスパイアされて、
私はテーマを作り、それがこの界隈の出版社の担当の方に気に入られて、
舞い上がったものだ。結局、無責任な学生仕事ゆえ
企画はフェイド・アウトしたのだった(本当の理由は別にあった)。


ホロ苦くて、甘酸っぱい、Old Bitter Younger Days。
でも二十歳は過ぎていた。“永遠のモラトリアム少年”に戻ってしまうんだ。
この界隈を歩くと。だからツライ。


YENレーベルも、講談社も、光文社も、キング・レコードも…。
だから今ひとつ苦手なのかも知れない。私は。