ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

春の雪。

tinpan19732007-04-09

ちょっと時間が経ってしまったが、
先週水曜日、東京に雪が降った。
4月の雪は、19年ぶりだそうだ。
19年前…、1988年か。


山下達郎さんは番組主題歌でシングル
「Get Back in Love」をリリースした。
TBSドラマ「海岸物語〜昔みたいに」。
奥田瑛二渡辺裕之島田紳助賀来千香子麻生祐未らが出演。
鎌倉山のパン屋「ボンジュール」に関係した男女7人のドラマ。
(葉山に当時、同一名の店が実在。レストランもあった)
ドラマの設定が良かったし、達郎さんのバラードもGoodだった。


松任谷由実さんは、オールナイト・ニッポンでDJを始めた。
ちょうど“団塊ジュニア”がミドル・ティーンに達したころ。
新たなボリューム層の取り込みに有効だったと思う。
さらに、CDプレーヤー(というかCDラジカセ)が普及価格帯になり、
アナログ・レコードからCDへと完全にメディア・チェンジ。
(88年じゃないか? CDの売上がアナログを初めて上回ったのは)
「ターゲットの絶対数が増えて、ラジカセを聴く手軽さで(価格面でも)、
 CDが聴けるようになった」
このような追い風を受けて、この年末発売のアルバム
『Delight Slight Light KISS』からメガ・セールス時代へ突入した。


桑田圭祐さんは、前年までのKUWATA BANDの活動を終え、
ソロとしてシングル「いつか何処かで〜I feel the echo.」発売。
これは、たしかJAL沖縄キャンペーンCMのテーマ・ソングだった。


以上、80年代の日本のヒット・メーカーが、
らしいアクションを見せた1988年4月。


海外アーティストだと、この時期、Level 42をよく聴いた気がする。
“It’s Over”とか好きだったな。


チマタでは、“ユーロ・ビート”なる言葉が誕生し、
リック・アストリー“Together Forever”あたりがその代表的存在
としてフィーチャーされ、たしか三ツ矢サイダーのこの年の
CMテーマだったような。


“ユーロ・ビート”。この言葉はその後ひとり歩きして、
90年代初頭のジュリアナ文化へと至る。
Avexもたしか、“ユーロ・ビート”のおかげでメジャーになったような。


ウォーターマンとあと…、三人のプロデューサーが有名でしたよね。
この三人周辺から生まれた音楽の総称が、言葉本来の意味での
“ユーロ・ビート”だったと記憶している。


私はそれより、L.A.のソーラー・レーベルだった。
ベイビーフェイスがいいなと思った。


そして私は、大学卒業2年目。
気持ち新たに“第二新卒”として某メーカーで働き出した春だった。